古甲州道、檜原はまたしても平山氏だらけだった!!!
古甲州道シリーズ、前回は戸倉でした。
戸倉の前、五日市は平山氏だらけで、戸倉は同じ西党の小宮氏だらけでしたね。
今回はその先、檜原です。
武蔵五日市駅まで輪行、旧五日市街道、檜原街道で橘橋に向かいます。勿論、旧道側を選んで。
橘橋に到着です。この正面の山が平山季重、あるいは氏重の居城、檜原城で、その麓にある吉祥寺は、平山氏館跡と伝わります。
橘橋の袂には、岩船地蔵尊があります。
1561年、檜原城城主平山氏重の妹鶴壽姫が青梅の藤橋城城主平山光義に嫁いだ時に、持参した地蔵尊です。平山光義と平山氏重は、共に平山という姓ということから分かる通り、同じ一族、親戚筋でした。
平山氏は当初上杉方でしたが、1546年の河越夜戦の後、平山氏重の父政重は北条方に寝返っています。北条は政重亡き後、長男の長寿を可愛がり、北条の通字、"氏" を授けて氏重と名乗らせました。一方、平山光義は上杉方のままで三田方でした。妹鶴壽姫が嫁いだ2年後、藤橋城は北条方に敗れ落城。鶴壽姫は落城寸前に檜原へ帰され、同時にこの地蔵尊も檜原へ送り返されたという顛末です。
橘橋を右に行くと直ぐにあるのが春日神社です。
更に進むと、御霊檜原神社があります。
平山氏の祖、日奉宗頼を祀った、あるいは主君後北条氏の八王子城落城と同時に落ちた平山氏重・氏久親子を祀ったとも言われています。
ここまま北秋川沿いに遡上すると、小岩地区には宝蔵寺がありますが、ここは、平山季重が、橘橋辺りの館、ですから吉祥寺ですね、の守護寺として開創しました。
如何でしたでしょうか。
檜原は平山氏だらけだったと、ご納得頂けたでしょうか。
そもそも、檜原は、日野の原です。
さて、道としての古甲州道は、春日神社の少し先、豆腐屋さんの所を山に入り、時坂峠を越え、都民の森に抜ける浅間尾根が道筋となります。時坂峠の少し先の峠の茶屋までは舗装路ですから、そこまでピストンしましょう。絶景でした。以下、写真集です。
峠の茶屋から先は完全に登山道で、グラベルバイクで行けますがハイカーも多く、古甲州道は一旦ここで完結としたいと思います。
古甲州道は、西党の祖、日奉宗頼の仕事場である府中に始まり、土着地の日野、平山氏だらけだった五日市、小宮氏だらけだった戸倉、再び平山氏だらけだった檜原と、正に、古甲州道は、西党の道だった、ということになりますね。