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エホバの証人の間違い 原理主義というもの
参照:「生の尻に革ベルトで」20回も“ムチ打ち”
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed31d3c27ffb12d254b902b07d19e26d2f067eea
「むちを控える人は子供を憎んでいる」「子供を愛する人は懲らしめを怠らない」
教団のサイトをちらっと見てみましたがこのように書いてありました。
「格言」と出ましたが一般に言う「箴言」のことでしょうか。
原理主義というのは比喩が分かっていない。
「右の頬を打たれたら左も差し出せ」も同じ。
神は愛する人を懲らしめる、・・・というのは比喩です。
人間だれしも人生に困難があるものですが、それは元々人間が過去生で悪さをしたからもたらされるものなのです。
そしてその歪んだ魂を矯正させるには、教えが必要なのです。
そのため誰の人生にも困難があるというわけです。
ですから人が人を懲らしめることは間違っているのです。それが親であっても。
人間というのは往々にして横柄で傲慢なものです。世界の権力者たちを見ると分かるでしょう。我の強い芸能人とかアナウンサーとか。みんな我が強い。
それは魂として悪いことなのです。天からみて。
そして天が魂のそういった性質を正すために、しばしば人間に困難を与えるのです。
地上では犯罪者らは刑務所に入れられ、何らかの罰を受けるシステムになっています。
それと同じことです。
しかし、魂に対する罰というのは「人生で起きる困難」という形で起きます。
決して人間が「天からの罰だ」と言って第三者に暴力を振るうことは許されません。
しかし上記の記事を見てください。
そのようなことを行なっているのが愚かなカルトなのです。
彼らは「俺は天の罰を下す」と言っているわけです。
彼らは比喩が分かっていないのです。
ユダや教で「安息日」とかいろいろある風習も原理主義です。
聖書は比喩で語っているからです。文字通りの意味ではないのです。それを強引に文字通りに解釈しようとしているのが原理主義なのです。
これと戦ったのがイエスです。
キリストが聖書の中でファリサイとかサドカイと戦うシーンがありますが、イエスが原理主義の宗教家たちをいさめているシーンなのです。
宗教というのは本来、人類に必要なものです。しかし宗教教団というものはしばしば知能が低いので人を誤導するのです。
ですから私が言いたいのは、神とか宗教とかを決して否定してはいけない。
しかし団体というのはどれもこれも警戒し、否定した方が良いということなのです。
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