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うまい文章 格調ある文体 小説・映画・音楽
都筑道夫のエッセー「わが小説術」の中にこのようなものがあります。
「ミスチルのCDを聞いていたらポケベルが鳴った」
という文章が仮にあったとしたら、それはダメな文章だというのです。
これは
「コンパクトディスクでミスターチルドレンを聞いていると、ポケットベルが鳴った」
でなければならない、というのです。
現代の人々は上の文章でいいじゃないかと思うかもしれません。
しかし彼は50年くらい作家人生を歩んで染みついてしまったもので、言葉がきちんとしていないと気になって読めないと言います。
彼は「粗雑な文章」は読んでいられないと。
そして彼は食事は一応どんなものでも文句はいわないが、小説となると「格調ある文体」でなければならないそうです。
・・・私が最初疑問に思ったことは
かつて彼は池袋の小説講座で講師をしていましたが、(私は当時迷ったあげく行かなかった)小説の書き方は本になっていて、私は少し不満だったのです。
なぜかというと彼の講座は書き方ばかりで、物語の構築を教えてくれないからです。
私が最も大事だと思うのは物語です。しかし彼はそうじゃないと言う。
彼の場合、文学が全てで、ものすごい読書量で、そんな中、培われたのが「洗練された文章」ということだったようです。
たしかに一理あると思うようになったのは、私が小説を読み返すようになってからです。
かつては同じ映画を繰り返し見たり、同じ小説を繰り返し読むことは時間の無駄だと感じていました。そんなことをする暇があるなら新しいものを取り込んだらいいじゃないかと。
しかし、月日が経つと、かつて読んだ本も忘れて行くので再読してもいい、という風になったのです。
そこでいろいろ読み返すと、再読に耐えるものとそうでないものがあることに気づきました。
あるベストセラー小説は初読の時はすごく面白いのだけれど、再読するとあまり読みたい気になりません。
しかしある小説は何回も時間を置いてですが、読むことが出来ます。
ちなみに私が繰り返し読んだのは
都筑道夫、コナンドイルです。ハリーポッターも何回か読み返しました。
私は依然、小説でも映画でも物語を構築することが最も大事だとは思いますが、繰り返しに耐えるかとなると都筑さんの理論が正しいと理解しました。
宮崎駿の映画もテレビ放映の度に高視聴率を取りますが、それは彼がディテールを大事にしているからであると思います。
反対に、2回目を見たくないと思うのはディテールに凝っていないからなのでしょう。
都筑先生はまた太宰治は好きではないけれど、彼の本を売払ってもまた買ってしまうというので、太宰は良くできた作品を書くのかもしれません。
私は映画で大事なのは
1に物語、2に監督、3が役者だと主張しますが、
この監督に当たるのが、小説だと「表現方法」に当たるのだと思います。
音楽だとどうでしょう。
よく、スレッドで「最も大事なのはアレンジだ」という人がいます。
音楽の場合
1にメロディー、2に演奏者?、3にアレンジか?
メロディが一番であると私は思いますが、表現=監督に当たるのがアレンジなのかもしれません。
どんな演奏形態であるかによって、何回も聞きたいと思うものになっているのかも。
もしかしたら最近の芸術が下降しているのは・・・
本が売れず、CDも売れず(サブスクに移行したからか)、映画も下火
というのは
1つにはコンピューターに頼り過ぎているからかもしれません。
もう1つは表現方法に凝らなくなって来たからかも知れないと思うわけです。
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