「それは私のヴァギナです」
セックスエデュケーションというNetflixのドラマを見返している。
その中でとても感動したのがタイトルのセリフである。
この物語は学園モノで、第5話の内容はおまんこ画像が流出するところから始まる。
色々あって一件落着するけど、最後の全校朝礼みたいので校長がこう切り出すのだ。
「今日は皆さんに大事なお話があります、それはエロ画像が全校で出回っていてこれは由々しき問題です。今後もこの問題に注視しつつ、こういった問題が起こらないためにも…」
そこで画像を流出させた女生徒が友人の名誉を守るために立ち上がって叫ぶのだ。
「それは私のおまんこです!」
すると他の女生徒も立ち上がって、
「いいえ、それは私のおまんこです!」
他の生徒も立ち上がって、「私もおまんこを持ってます!」「僕も!」「私も!」と大合唱。
校長も大慌ての中、流出した本人も立ち上がって「私のおまんこです!」でエピソードは終わる。
こんな卑猥なお話のどこが感動かって、一つはなんで性器ごときで問題なのかという問いである。
確かに恥ずかしいし、皆んな騒ぐだろう。
明け透けなのは嫌だけど、その前提ってどこで誰が決めたのか?
皆んな股の間に性器は付いてるはずだし、隠すようになったのはほんの何千年とかの話である。
二つめにMeToo問題。
言い出せずに埋もれた声を発すること、虐げる側に負けてたまるかという戦いがそこに描かれていた。
このドラマはとにかく登場人物たちが良い子で、人間らしくて憎めないところが素晴らしい。
それにセックスエデュケーションと銘打って下ネタ満載なのももちろんなのだが、きちんとその前段、つまりいかにして人間関係を深めていくかを教えてくれてるようにも思えます。
一方でユーフォリアも見返してるけど、こっちはとても暗くて重くてサグ過ぎる。
どちらのドラマも辛さがあるけど、若いってそういうことのようにも思えます。
つまり殻を破って綺麗な蝶になるためには、今までとは全く違う自分にならなきゃならないのだ。
それにどちらも今っぽいし、山積みになっている問題に対してきちんと向き合っているところが好感が持てる。
セクシャリティ、人種、アディクションやハンディキャップ、それに対する差別や偏見。
時に愚かであってもいいと思うのは我々が人間だからだ。
こうした作品を通して他者の目を培うことから、少しずつ世間の当たり前や価値観などがより良い方向に醸成されてゆくことを切に願って。