洗礼
その儀式は突然行われることになりました。
友達の友達の家にお呼ばれして、お菓子まで買って行って始まった"お水ゴクゴク会"。
私以外にもう一人初めての方もいて、どんなもんかと楽しみにしていました。
持ち主は彼女で昨日試したから量はだいたいわかってると言っていました。
ティンクチャーから何滴か500の水に垂らしたらその場にいた五人で回して飲む。
効き目が現れるまではいつも通りにジョイントを回して、お喋りを楽しんでいました。
ちょうどインド帰りだった私に「インドって何語で会話してるの?」と聞かれた時に効き目が訪れました。
あぐらの姿勢から指一本動かせず、ヒンドゥー語だよの一言が喉まで出ているのに声が出ない。
頭の中は軽いパニックで、金縛りとは恐らくこういう状態なのかと俯瞰して感じている自分が少し離れたところにいるような感覚。
そこから音楽のテイストが変わったようにも思えたし、何よりその場の全員の動きが先取りして見えていた。
初めてお友達はまだまだ余裕とお菓子をバリバリ食べ始めたところで、変な感じするかもと様子がおかしくなる。
他の三人は慣れなのかもうちょい足そうともう何滴か垂らした水を回し呑む。
この辺からその人独特の色の光がオーラのように出ていて、その光は空まで繋がっているように見えていた。
さっき変な感じと言ってた彼は色がまだない。
その彼は立ち上がって「ベランダから移動したほうが早いかも知れない」と言い出したので三人で抑えて座らせる。
彼は自分をさらけ出せずにいたみたいで、そこからパニックになっていたみたいだった。
恥じらいながらも彼はみんなと腰を据えて、この場の調和を選んだその時に白色の光を発しだした。
みんなの光が虹になって落ち着いたところで会はお開き。
帰りの車ですき家に寄るかどうするかと話している時に時間が逆戻りして、ヒンドゥー語だよというところまでをその時に追体験する。
逆再生でその場を見ていたからこそ、さっきまで少し先のビジョンが見えていたのだと、また俯瞰した自分から俯瞰して眺めていると車はすき家に着いたのだった。
この体験から学んだことは二つのこと。
一つ目は時間はとても柔軟、何故ならば存在しないということ。
二つ目は空間を作るために人は光を出している、そしてそれは高い次元では繋がっているということ。
その光の反射をとらえているだけで、それが連続してると自我が整理して錯覚しているだけ。
なんつって。