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約束を破る夫との争いについて、ヨガ哲学で考えてみた。
今度の誕生祝は気になっていたレストランで夫とランチの約束!
楽しみにしていたのに、夫が約束を履行しようとしませんでした…。
妻は心は嵐のごとく荒れてましい、こう思ったのです。
「ヨガ実践者なら心を静めるのだ…!!」
妻は、ヨガ哲学の視点からこの出来事を見てみました。
始まりから顛末
誕生日は仕事の関係上、一緒に食事をとることができません。
そのため、「お祝いは誕生日以降の日曜日、レストラン〇〇で」と約1か月前に約束をしました。
~約束の数日前~
夫が「Bさんの件で予定が入るかもしれない。あらかじめBさんに連絡をして調整しようと思うが、場合によっては日曜でなくて土曜日に変更してもいいかい?」と聞いてきたのです。
妻は「土曜日でもいいよ。」
と返事をしました。
~土曜日11:00~
この時間でもランチの日程変更の話題は出ません。
『明日はずっと行きたかった〇〇でランチ💖』と楽しみにその日を過ごしました。
~日曜日(ランチ予定日当日の朝)~
夫が「先日に話した、Bさんの件については、連絡をとらなかった。だから今日は予定が入るかもしれない。」と言うのです。
妻の心は荒れ狂いました。
夫の『予定が入るかもしれない=ランチにはいけない』だからです。
そして妻は夫と言い争いになりました。
夫は、怒り狂う妻に何も言えなくなり、喧嘩したまま週末を終えたのでした。
夫の言い分
・ランチの約束を破るつもりはなかった。だが、予定の調整はしなかった。
・なぜしなかったのかは自分でもわからない。
・ランチに行きたくなかったわけでも、祝いたくないわけでもなかった。
妻の言い分
・Bさんに連絡をして、場合によっては土曜日に変更するという案は夫がいいだした。調整できそうなのにどうしてやらなかったのか!
・自分の約束の方が先だ。
・結局日曜日当日は何時になっても、Bさんとの関係では予定が入ることはなく、ランチはあらためて「〇日に」という話がないのも嫌だ。
ヨガ哲学で考えてみる
妻は約束を守らなかった夫を「責めた」。
この行為は八支則のうちのヤマ(やらない方がよいこと)の中にあるアヒンサー(傷つけない)という項目に反している。
自分が傷つかなかったフリをすると、これまた八支則のヤマにあるサティア(嘘をつかない)に反する。
ではどうしたらよかったのか。
一旦自分の傷ついた気持ちい気付き、受けとめ、『傷ついたという事実』のみを伝える。そして、責めない。
今回夫は予定の調整をしなかった。
しかし妻のことを優先したり、妻の為に何かをするということはこれまでなかっただろうか?
八支則のニヤマ(やった方がよいこと)にあるサントーシャ(あるものに目を向ける)の視点で思い返してみる。
・夕飯を作り、帰ったとたんに温め始めてくれたこともあった。
・「君が好きそうなものを見つけた」と、高級なピーナッツとドライフルーツのお菓子を買ってきてくれたこともあった。
・寒がりな妻がエアコンの風が直接当たらないように、風よけカバーを取り付けてくれた。
妻の事を思ってくれていることもあったことに気付いた。
今回、なぜ夫が「行動できなかったのか」はわからない。
疲れ果て休むことが精いっぱいで、行動をするためにエネルギーをまわせなかったのかもしれない。
夫が言う、『ランチに行きたくないわけではない』というのは嘘ではなく、夫自身が気づいていない理由、例えば『Bさんに連絡をとるという行為に、心理的に何らかの抵抗感があった』のかもしれない。
人は誰もが幸せになるために生きている。
怒り、落ち込み、失望…いろいろなネガティブな感情も味わうこともある。
でも、いつまでもその感情に支配されていても何も良いことは起こらない。
風に吹かれてもそこにとどまる木のように、どっしりと安定した心を養いたいものである。