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感情は生きていることそのもの
こんにちは、さとみです。(自己紹介はこちら)
今日はちょっとスピ的なお話です。
わたしは、現在意識と潜在意識の境界が少し曖昧なところがありまして、これでは生きにくいので、なるべく閉じるという術を子どもの頃に身につけております。
が、わりと無意識にこの境界線が開きやすかったりします。
なので、「世界=わたし」という感覚がありますが、普段の日常では、そんなことほとんど忘れて生きています。
だって、このフィルター(クリティカルファクター)が開いてくると、様々なことに泣けてくるほど感動しちゃったり、人のエネルギー共有しちゃったり、人のエネルギー内に入っちゃったりして、えらいこっちゃなのです。
だけど、気に入っているところもあって、ピュアな部分のエネルギーと同調できるところ。
心が動いて、心が震えます。
だから、時々思い出すようにしています。
この世界は、全てわたしだったという感覚を。
ちょっと分かりにくいですかね。物語っぽい?
*
昨日、ある歌を聴いていたら、ふと蘇ってきたのです。
何気ない、気に留めていない出来事も、誰かとのやり取りも、当たり前の日常も、本当は大切な愛おしい瞬間も、気付かずに生きている私たち。
まぁ、それが当たり前なんだけど、毎瞬感動して生きてたら心が大変です。
心が動く、感情は、生きていることそのものが感じられる。
だから、時々大切に扱ったり、思う存分感じる時間を作って、心が癒される時間が好きです。
そう、繋がっているのは、フリーエネルギーなので、無限供給です。
ただ、そこと繋がるだけで。
そう思うと、苦しく感じている感情さえも愛おしい(渦中にいる真っ最中は苦しくて仕方ないけど)。
だって、生きている証拠だから。
今しかないこの瞬間ので感覚は、とても輝いている。
生命に触れられる瞬間。
*
わたしたちは本当の意味で、「今ココ」を見ていることって、少ないのかもしれない。
見ていると思い込んでいるだけで、表面をなぞっているだけのようにも思います。
あぁ、わたしたちは、こんなにも、抱えた
愛をこぼしながら生きているんだなぁ。
いや、待てよ。こぼしながら生きているんじゃなくて、抱えきれないほどの愛が溢れた中で生きているんだった。
何か、特別な瞬間以外も、同じように実は特別な瞬間です。
意識の持ち方でもありますが、人生の中でいかにこんな瞬間を体感できるかが、豊かな人生なんじゃないかなぁと思った次第です。
大切にしておきたいことなので、覚え書きとして書いてみました。
ではまた!
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わたしのヨガスタジオ【yoga nadi】
ヨガレッスン、オンラインヨガ、骨盤パーソナル、などやっています。 BODY・MIND・SPIRIT、三位一体で整えます。