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無と有の無の話
「何度も座禅をしてますが無になれません。どうしても何かを考えてしまいます。」昔、寺で禅体験をした時に坊さんに相談していた人がいた。坊さんは「難しいですよねぇ、なれない時はなれないですよ。今は無になれないということを受け流しましょう。」と優しく答えていた。質問者は腑に落ちない顔をしていた。
坊さんは無を哲学的に考え、質問者は無を物理的に考えているのかな、と私は思った。
哲学的に考えると、
無であるということと、ただ、在るということは同意語であると思う。坊さんが言った意味。
何も考えないことが無なのではなく、自分のエゴをどこかに置いといて、あるがまま、起きるがままを受け入れるということが無であるということ。
何も考えないことができることが素晴らしくて
何も考えないことができないことはダメなこと
という自分の考え、エゴをどこかに置いておくこと、自分なりのジャッジがない状態、これが無。だからこの場合は「今は無になれない自分を、そっかーそーなんだねーと受け入れる」ということが無。坊さんの言う通りなのだが、日本語って、言葉って難しい。
物理学的に考えると、
無とは、時間も空間も何もない状態。質問者はこっちのイメージで無の話をしてたのかなと思う。
人間は、一人につき一つの宇宙を持って、自分がその宇宙の神として生きているので、このようなことは往々にしてある。これがケンカの元になり、こじらせると戦争になったりするのかなー。
溝の口ヨガスタジオ Yoga Day1
毎週火曜日10時〜
ゴルフボールで足裏をほぐす時間 担当者 ともみ
ヨガ、身体の動かし方、おしゃべりなどなど、マンツーマンレッスンもやってまーす。