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3. 中からみるヨーガ

• 過去と現在は結局切り離せない 
• 生まれた場所と時代はその人を定義する
• 自分を定義するものは「中から」しか考えることができない
• インドの人とそれ以外の人が考えるヨーガは一致しづらい
• インドの人が「中から」見ているヨーガの姿を知るには

私は現在の価値観を過去に投影しない方がいいと思っているわけですが、過去と現在は完全に切り離すべきだ、とは思っていません。というよりも、前節(2. ヨーガはインド生まれ?)で書いたことと矛盾するようではありますが、そんなことはできるはずもないと考えています。

例えば、今ここにいる私は、やはり過去からの連続性を体現する存在ではあるわけです。私が20世紀後半の日本に誕生し、20世紀前半生まれの日本人の両親に育てられたということは、すでに過去となった1980年代や1990年代の出来事が私の個人史に大きな影響を及ぼしているというだけではなく、私の父や母の考え方や生き方、両親がそのまた両親から受け継いだ価値観や倫理観をも何らかの形で内面化しているということでもあるはずです。つまり、私が生まれる前、20世紀初頭の日本社会の空気が、実体験としてではないけれど、両親や祖父母といった生身の人間たちとの交流を通して、私の中に知らぬ間に根づいてしまっているのです。そしてその20世紀初頭の空気には、さらなる過去が当然ながら紐づいています。

結局のところ私は、日本生まれ、昭和生まれといった属性から逃れられません。そのことが、世界や歴史や国や文化に対する私の見方を決定している側面があります。特に日本や日本の文化といった自分が生まれ育った場所、自分を育んだ環境について考えるとき、私はどう頑張っても「中から」しか思考を巡らすことができません。自分を自分たらしめている、自分の一部を構成するような要素について、いわゆる客観性を持って観察することはとても難しいのではないかと思います。

このことは、インド文化圏の中で育った人のヨーガの見方と、それ以外の人のヨーガの見方を考える上で役に立つ視点なのではないでしょうか。

ヨーガがインド生まれかどうかについては、「インド」を国として考えるか、土地として考えるかによって本来答えが変わってくるのはずなのですが、インド文化圏で育った人(ここからは大雑把にインド人としてしまいましょう)にとって、インドという国とインド亜大陸という土地を切り離して考えることはいかにも難しそうです。日本人にとって日本という国と日本列島という土地を別個のものとして考えるのは、かなり意識をしないと困難なのと同様です。

つまり、インド人にとってヨーガというのは、自分にどこかでつながっている遠い昔、インドの大地でインドの文化として生まれ、その後も連綿とインドの歴史の中で語り伝えられてきた深淵なる知恵の体系なのだと想像します。それは、ある意味自分を構成する一部として認識されているのではないでしょうか。そして、そのような形でインド人の中にあるヨーガの姿は、おそらく長いヨーガの歴史のさまざまな時点における異なったあり方が何食わぬ顔で並存している姿なのではないかと思われます。それは、外から見ると、一貫性のない散漫な様相を呈しているとも言えるかもしれません。

そのことをここで批判したいのではありません。そうした見方はインド人にとっては普通だし、当たり前なのだと、私のようにインドの歴史と文化を血肉化していない者は覚えておいた方がよさそうだ、ということです。残念ながら彼らにとってのヨーガと、インド文化圏の外で生まれ育った者にとってのヨーガとが、一致することはないのだろうなという気がします。

以上のようなことを押さえ、すべてを丸ごと理解することは難しいかもしれないのは承知の上で、現在のインド人の中にあるヨーガの姿を知りたいときは、どうしたらいいのでしょう。

ひとつの指標となるのが、現在のインド政府のAYUSH省が提示しているヨーガの定義でしょう。AYUSH省というのは、インドで広く知られている複数の伝統医学体系(アーユルヴェーダ、ヨーガ、自然療法、ユナニ医学、シッダ医学、ホメオパシー、チベット医学)を統括する中央官庁です。いわゆる「インドの伝統」を重視し、それを積極的に後押しする方針を打ち出している現モーディ政権のもと、前組織から格上げされる形で2014年に創設されました。これによりインドでは統一されたヨーガの定義をまとめようという努力がなされ、インドにおける「ヨーガってなんだ?」という問いへの答えを積極的に発信し始めました。

さらに、ヨーガを教え広める活動を重要なキャリアのひとつとみなし、インド政府の考える正しく一貫性のあるヨーガの知識を浸透させるべく、ヨーガに関する資格制度も整備されています。  

こうしたものを見ていくと、インド政府がどのようにヨーガを捉え、考えているのかがわかります。そして、それがインドに住む人々の思い描くヨーガの姿に少なからぬ影響があるのは間違いないと思われます。 

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