サザエさんにまつわる不思議な話?

52年前に夫がテーマ曲を作詞したフジテレビのTV漫画「サザエさん」、あの「お魚くわえた・

・・♪」にまつわる不思議な話。

LAの郊外のパサデナ市に住み始めて数年後、ある日、突然、何か普段と違ったものを感じた。
 降って湧いた様に不思議なフィーリングが訪れた。

 専業主婦だった時に子育てをしながら時間を作って渋谷のソニーの英会話学校に通い、33年前の1988年に英検2級は取っていた。でも、実際には英会語はスムーズ出来ないし理解度も低い。アメリカ系の会社で仕事もしていたが、周りは日本人が多く、英語の上達にはあまり貢献しなかった。それを知っている長男からは、
「こちらでは日本のテレビ番組は見るな!見るならアメリカのホームドラマを見ろ!」
とキツイお達し。理由はアメリカのホームドラマが一番、英会話の勉強になるからだそうだ。言われてからはアメリカの地上波のホームドラマを集中的に見て、テレビの画面の下に英語のキャプションが出るように設定。画面を見ながら英語の文章を眼で追う。全て分かるわけはないから少しでも分かったフレーズを直ぐにノートに書き留める。毎日毎日、その作業に専念。数カ月後には書き留めたB5のノートが3冊になった。アメリカ人の友達も出来て、その甲斐あってか会話も少しはスムーズになって来てはいた。ただ、CDストアの大失敗から収入を得るために日系の会社で営業として働き始めてもいた。営業はほとんどが英語。その頃になると、英語の会話が嫌で、アメリカのテレビ番組にも疲れを覚え、激しく日本のテレビ番組が観たくなって来てもいた。
 見たい!
 日本の番組が恋しい!
 気持ちが抑えられなくなった。
 ついに我慢しきれず車で5分の貸しビデオ屋さんに車で行く。初めて何か日本の番組のビデオを借りてみようと決心。店に入ると目は白黒。夥しい数のビデオがタイトルと付けられて壁の棚にビッシリと並んでいる。
 日本人の店員さんに聞いてみる。
「新しいのは何日前のですか?」
「日本での放送の3日後にはビデオが届いていますよ」という。
 オドロキだ。
 そんな状況の中、何を借りるか迷いに迷う。店内をぐるぐる歩き廻る。散々、迷った挙句、ある棚の前で自然に足が止まった。誘導されたようにスーッと手が伸びてきちんと収録順に並べられた棚からビデオを1本取り出す。1ドル払って2日間借りた。
 急いで家に戻ってビデオをデッキにガシャンと差し込む。
 私が選んだのは「トリビアの泉」というフジテレビのバラエティー形式のクイズ番組だ。“素晴らしき無駄”がテーマで、英語のTrivia(トリビア)は雑学と些末な、などの意味らしい。見たことがない番組だったが、タイトルに惹かれて借りてみた。2002年の10月に始まり、2006年の9月まで続いた番組で、私が借りたものにはNo.168が収録されていた。
 「日本語の番組っていいなあ~。「トリビアの泉」って面白い~、と、かなり、真剣に見ていた。
 瞬間、衝撃が走った!
 司会の八嶋智人さんが問題を読み上げる。
 「サザエさんの家は平屋だったか?2階屋だったか?」だった。
 「えっ、サザエさん」

 フジテレビのディレクター兼作詞家だった夫、林良三(ペンネーム 林春生)は今から52年前、会社の許可を得てある歌の作詞をした。
 世田谷区の団地の布団が部屋いっぱいに敷かれた3畳の一室、そこで青い顔をした夫が目の前に漫画本5冊を並べ、腹ばいになりながら考え込み、そして一気に書いた詞。
 それがあの国民的テレビ漫画「サザエさん」のテーマ曲
「お魚くわえたドラ猫……」だ。
 まさかその52年後も使われているなんて、夢にも思わなかった!

 その問題の根拠は、主人が作詞した歌詞の中に「2階の窓から眺めたら~♫」と言う部分があるのだ。
 ところが、「磯野家」の設定は平屋。つまり、正解は平屋。
 その時、司会の八嶋智人さんが
「作詞した林さんは平屋なのを知らなかったのですね」と
言ったのだ。
 アメリカに行って初めて借りた貸ビデオ。その中で司会者の八嶋智人さんが夫の名前を言っている。ゾーっと鳥肌が立つ!何万分の1の確率だ。
 やはりあの時、夫が背中の後ろから私の手をスーッと引っ張って、
「このビデオを取れ!」と導いたとしか思えない。
 その日以来、何故か「主人が肩の後ろに居る」という確信にも近い感覚が芽生えた。まあ、それなら、と思い、何か困った事が起きると
「ねえ、どうする?」
みたいな質問を肩の後ろに居る主人に心の中で相談すると不思議に解決策が見えてきていた。
 それが、ある日、フッと気が付くと
「あれ、居ない!」
 夫が居なくなってしまったのだ。13回忌を過ぎた頃で、アメリカから日本に戻って2年目。17年間住み、「サザエさん」とも縁のある世田谷区弦巻に新しくお墓を買って納骨した時だった。生まれ育った故郷の松江市と、その生涯を閉じ、こよなく愛した世田谷区にも戻って来て、家族全員の生活も安定して来た時期とも重なりあっている。
 また、息子達も幸せな家庭を築き上げてホッとしたのかもしれない。
 少なくとも息子達2人はこの話は“非科学的だと”全く信じない。
 バカバカしい話と言われても、私はあの頃、夫は絶対、肩の後ろに居たのだ、と今もなお信じている。

テレビ番組ではないけれど、信じるも信じないも貴方次第!


いいなと思ったら応援しよう!