音楽の話をしようよ#3 Arctic Monkeys『Favourite Worst Nightmare』────2000年代を象徴する最強のロックンロールアルバム
『Favourite Worst Nightmare』、直訳すると「お気に入りの最悪な悪夢」。そんなタイトルだったのかと今知った。英文をまだ形としてしか覚えられていなかった中学生に上がりたての少年の、もっともお気に入りのアルバムだった。
『Favourite Worst Nightmare』は、Arctic Monkeysが2007年にリリースした2ndアルバム。全英1位、全米7位を記録し、1stアルバムで世界中に巻き起こした旋風を2ndアルバムで確固たるものにした。21歳の4人組バンドがあっという間にワールドクラスのロックバンドへと登り詰める勢いごとパッケージされた作品。そんなレーベルからのリリース情報のような事情など関係なかった13歳の春、1曲目の"Brianstorm"が僕の胸を貫いた。
兄から拝借したCDをプレーヤーで再生すると、いきなりマシンガンのように高速でギターが鳴り、ドカドカとドラムが暴れ回る。一度聴いたら口ずさめるほど印象的なギターリフと、そして可愛いルックスから歌われる印象的なアレックスのボーカル。脳みそが処理するスピードよりも早く、巨大なエンジンを積んだ車のように音が飛び込んでくる。
この当時のArctic Monkeysには2000年代のロックバンドの主流だったガレージロックリバイバル的な側面と、ニューレイヴ的な側面があると解釈している。"Brianstorm"は中でもニューレイヴ的な側面が強く出た楽曲だ。これこそまさに2000年代を象徴するようなロックバンドのサウンド。
当時の自分はGreenDayやMy Chemical Romanceなどのパンクバンドに特に夢中だった。そんな時にもArctic Monkeysは違和感なくスッと入ってきた。今となると不思議だが、パンクバンドと同じ地平線でArctic Monkeysを聴いていたのだ。結局のところ13歳の少年のBPMは、おそらく170前後なのだろう。そう考えるとしっくりくる。怪しげなMVも印象的でかっこいい。
続く"Teddy Picker"にハマる頃にはもう手遅れだった。印象的なリフが気になってしまい、授業中でも塾の行き帰りでも、部活のランニング中でも頭の中にはArctic Monkeysがいた。そして気がつくと、"ひとつ最高のリフさえあれば1年は飯を食っていける"、そんなガレージロックリバイバルの海の中にいた。やたらと先頭に"The"のつくロックバンドたちが1stアルバムで話題になっては沈んでいく海の中を2007年から2009年まで泳いだ。あの当時のUKの音楽シーンは、ルールが1つのとても単純なゲームをしているような、とても安易である意味ではいい時代だったような気がする。
しかし、続く3rdアルバムの『Humbug』でArctic Monkeysは自らこのゲームをやめてしまった。ハードでディープなサウンドへと変わっていった。もうBPMを170にすることは無くなった。彼らは一足先に大人になってしまったのだ。まだ10代だった自分は完全に置いて行かれた気持ちだった。そこから一気にArctic Monkeysを聴くことはなくなってしまった。
大人になった今では分かる、あのゲームを誰かが辞めなくてはいけなかったこと。それでも心の置き場を失った少年は、同時にエモ・ポップパンクの終焉も目の当たりにしてしまった。だから結局The Mirrazを聴くしかなかったのだ。
今でもArctic Monkeysとの距離感は正直分からずにいる。携帯の待ち受けにして、部屋にポスターを貼るほどだったバンドがようやく今年来日する。でもどんな顔して会えばいいのか分からない。まるで初恋の女の子に10年ぶりに会える機会が訪れたのに、同窓会の参加の可否を決められずにいるみたいだ。
大人になった自分と、ますます大人になった彼ら。どんな気持ちになるのだろう。ちなみに来日公演のチケットは外れた。
それでもやっぱり俺たち世代のロックバンドは間違いなくArctic Monkeysなのだ。
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