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フジロックという祝祭

僕はフジロックへ行った。
僕の選択で苗場の地に行くことを選んだ。これが誰かを裏切ることになることも、大きな過ちと咎められることも承知の上でフジロックへ行くことを選んだ。
正直今でもビビっている。フジロック期間中に人生で初めてSNSの鍵をかけて、帰宅してからも外せずにいる。行く前には反対派の人たちから煽るようなリプライもきた。今でも自分の選択がどうだったのかは分からずにいる。これから2週間は不安と共に過ごすのかもしれない。SNSで飛び交う様々な声がこれまでと変わって全て自分に向かって叫ばれているように感じてしまう。全部が自分の責任に思えてくる。自分の居場所を選ぶだけでこれだけの責任を負わなければいけない。そんな時代になってしまっている。それでもフジロックへ行った。
僕は自分の目で耳で自分の好きな場所、音楽が鳴るあの場所がどんな風になるのか、これからどうなっていくのかを見たかった。憶測や妄想で何かを語ったりしてしまう前に自分で確かめたかった。覚悟の上で参加することを決めた。

8月19日

本来ならば前夜祭の開催される木曜日の夜に越後湯沢駅に到着した。普段とは違って閑散とした駅に所々に気持ちばかり装飾されたフジロック感が逆に少し寂しさを醸し出していた。
会場へ向かうバスに乗る前に検温を済ませてバスに乗り込む。会場までのバスに並ばずに車内もまばら、誰一人声を発さないバスは忌野清志郎の「田舎へ行こう!」を響かせながら会場へと向かっていく。まるで収容所へ向かうように沈黙と不安だけがパンパンに詰め込まれたバスは心情を表したかのような暗闇の中をひたすらに進んでいった。
右側にいつもの穴の空いたトンネルを過ぎたところで会場と苗場プリンスホテルの明かりが見えてくる。とてつもない安心感と夏休みにおばあちゃんの家に来た時のような懐かしい気持ちになった。
会場に到着すると先に着いていた人たちの笑顔が見えて安堵した。それでもこれからどんな四日間になるのか、果たして楽しめるのか不安でいっぱいだった。

8月20日

初日は晴れた。天候のことなど考える余裕もなかった今年のフジロックは晴れ空から始まった。早くに腹ごしらえと会場内の散策をしてみた。会場内を奥のGypsy Avalonまで歩いてみたけど一部どうしても違っているところはあるものの、どこからどう見ても僕らがいるこの場所はフジロックに違いないと思った。そこにすごく安心した。
ただ入場する時の検温、検温リストバンド、荷物チェック、アプリでの本人確認などこれまでになかった対策が施されていて、この変更点には来場している側としては凄く安心する。アルコール消毒が至るところにあったり、すれ違えないように一方通行になっていたり、ハンドソープがいい匂いで何度も洗いたくなったのは凄く賢い対策だと思った。
想像しているよりも緩かったり対策も穴があるのではないかと思っていたが、主催側の本気の姿勢が見えてこちらも本気で挑もうと思えた。

トップバッターのOKAMOTO'Sが出てきてふと思った。フェスに参加するのって2019年のSummerSonicが最後だったのかな…と。2年も開くとやっぱり久しぶりの感覚で、ラインナップがどうとかヘッドライナーがどうとか色々考えていたけどどの時間帯、どのステージのアーティストもそれぞれ心のヘッドライナーで、それぞれの心のベストアクトなのだということをはっきりと思い出させられた。OKAMOTO'Sはトップから気合とロックへの愛をぶちかますライブをやっていて、ロックフェスの開幕に相応しい演奏だった。

それ以降TENDOUJIDYGLと見ていて毎回アーティストがMCでフジロック開催について、音楽についていろんな想いを語っていて、こんなフェスティバルは過去に見たことがないし『特別なフジロック』と銘打っているだけあってみんながその特別さを理解して参加していることを凄く感じた。そこには色んな視点や色んな言葉や考え方があって、MCで何も喋らない人も曲の中で伝える人、手紙に認めてくる人、上手く言葉にできない人、それぞれの形があった。これは本当に良いことだと思った。日本の業界的にこうした発言や考えを発表することをタブーとされる傾向にあって、これまでも触れないようにやり過ごしてきたところがある。だからこその現状があることをみんな責任を感じていて、今回この場所でちゃんと想いを話したり伝えたり、それぞれが考えることができているということが何よりも大切なことなのではないかなと思った。こういったことはこれからもずっと続いていってほしいし、そこには僕らも同じように立ち向かわなければいけないものがたくさんある。音楽を絶やさないためにも。

その後のくるりYogee New Wavesのライブは夏をギュッと閉じ込めたような淡い時間だった。くるりのライブではこの日で唯一雨が降る時間があった。その雨すらも演出のように曲の中に溶け込ませていったくるりの地肩の強さを感じた。そして夏を歌った新曲の歌詞が心へとじわじわと染み渡って思わず涙が出た。苗場からほど近い新潟市内に祖父母が住んでいて、子供の頃は毎年のように来ていた新潟。そんな夏の日のことを思い出すような懐かしい夏を感じたくるりのライブ。"ばらの花"の「安心な僕らは旅に出ようぜ 思い切り泣いたり笑ったりしようぜ」のフレーズで太陽を取り戻したくるりの魔法には驚いた。

打って変わってYogeeのライブは大人になってからの20歳前後の青春の夏を思い出すライブだった。"Summer of Love"のギターのリフレインが夜になっていく苗場の空気を包み込み、新曲の"SISSOU"が心を連れ去っていく。
"Climax Night"がメロウに夜を演出し、夏のフェスティバルの楽しいところをギュッと詰め込んだ最高のパフォーマンスだった。お客さんも声は出せなくともレッドマーキーは確実に一体感に溢れていた。

そして今回のベストアクトだと思っている初日ヘッドライナーのmillennium parade
圧倒的だった。いつものフジロックでもヘッドライナーをできるほどの演出と気合いと演奏力で、期待を大幅に上回るライブを観たというより観てしまった目撃してしまったという感覚の方が近くて、終わった後に放心状態のまま会場の外へと向かった。
普段の海外アーティストもいるフジロックだったら観なかった可能性もあるアーティストをこうして観れることで、新たな出会いとか発見があって"裏フジロック"のような感覚で凄く楽しい。もっと予想外の出来事に出会いたくなった。

8月21日

2日目も晴れスタート。今年のフジロックは1ヶ月遅い8月開催ということで寒くなる見込みだったのに7月よりも暑いんじゃないかと感じるくらい暑いし晴れてる。少しくらい雨降れと思ってしまうくらい青空。2日連続で長靴で宿から出たもののサンダルに履き替えた。
この日は3日間でも約13000人と1番来場者が多かった。King Gnu目当てだろうか。たしかに会場を歩いていても初日よりも人数が多く感じた。
それでもルールを無視して大きな声出したり、酒を飲んだり、マスクをしてない人はほとんど見なかった。僕が見た限り99%はちゃんとしてたように思えた(ちゃんとできていない人にはスタッフの方を通して注意してもらいました)。もちろん徹底してスタッフの人の声かけやライブ前のMCでの注意喚起が100%されていたのでみんな心掛けられていたと思う。

宿泊していた宿では僕らが今年初めてのお客さんという話も聞いた。それが冗談なのか本当のことなのかは分からない。しかし、お風呂や部屋の感じを見るに誰かが使っていた形跡は全くなく、手入れもされていないほどに誰もきていなかったのだろうと推測できた。
苗場のあたりは緊急事態宣言やまん延防止等重点措置のエリアにも指定されていないので、営業は可能となっているため補償の対象外になってしまう。その上、イベントや観光の自粛がされているため誰もこの地に来ようとはしない。もしかしたら地方の観光産業が1番地獄のような状態になっているのではないかと感じた。今回訪れてみてこうしたことに気づけたことも凄く大きかった。

朝は宿から1番近いPyramid GardenでYogee New Wavesの健悟くんのソロを聴きながら朝ごはんを食べた。コーヒーとカレー、食後にクッキー、そして健悟くんの柔らかい歌が青空に響く。僕らにとって何よりも贅沢な朝とはこういうものなのだ。

そしてホワイトステージのカネコアヤノ
「とにかく俺の歌を聞け!」と言わんばかりのMCなしの50分間はいつもよりシャウト多めでバンドメンバーのエネルギーも高く、集まった人たちの心に画面の向こうの人たちの心に、ドカンと突き刺さるようなライブだった。
カネコアヤノのライブの後にホワイトステージの近くのところ天国の川に入った。水が冷たくて最高に気持ちが良かった。サンダルにして正解だった。
昔からずっと夏は海派だったのに気付いたら毎年この山に来てしまっている。もう恐らく山派なのだろう。ここに来ないと夏になった気がしない。

みんなが去年のオンラインでのフジロックからずっと待っていたサンボマスター。力強いメッセージとパワーに比例して苗場に力強い雨が降り注いだ。友達に荷物を預けたまま前に行ってしまっていた僕はとんでもないほどのびしょ濡れになってしまい。まるでフジロック初心者のような濡れ加減で、とてつもなく恥ずかしかった。そのためにサンボマスターの記憶がほとんどない。
みんなが口々に最高だったという中、びしょ濡れの服をどうしようか考えていた。苗場に負けたのだ。それでも雨のおかげで心が解された会場のボルテージは最高に上がって、がむしゃらに踊り倒す人が多くいて、自然のエネルギーって凄いなあと木々たちに感謝した。

Corneliusの代打として出演したKen Yokoyama。ソーシャルディスタンスかつ発声禁止の中でどんなライブをするのかとても気になっていた。ただ最初から歯に衣着せぬ何でもありのMCが最高だった。普通だったらやりにくい代打での出演を笑いに変えて、このフジロックの空気も一度笑い飛ばしてくれる優しきパンクスの姿には感動すらも覚えた。
それに答えるべく前方に詰めかけたファンもモッシュダイブや歓声も一切なく、どれだけ激しい曲であろうともその場で踊っている姿を見て、最高の愛の形の示し方だとKenさん含めこのグリーンステージに詰めかけた人たちにも拍手を送った。

そしてこの日はKen Yokoyamaに加えてチバユウスケ、浅井健一、甲本ヒロトなど90年代のロックスターたちが勢揃いしていた。そんなホワイトステージのヘッドライナーを務めたのが90年代オルタナロックの重鎮Number Girl
前日のVJや演出もヘッドライナーとして凝りに凝っていたmillennium paradeとは打って変わってVJも演出もなし、バンドと照明のみの裸一貫でステージに立ったNumber Girlのバンドとしての強さをガチガチに感じた。前回観たのが2年前の再結成して最初の野音でのライブ。それよりも100億倍バンドとしてのグルーヴ感が増していて、これがNumberGirlなのか…と心から思った。まるで解散なんてしていなかったようなそれくらいのグルーヴをダイレクトで受けてしまい放心状態で会場を後にした。(昨日と同じ)

この日は高校の同級生やら後輩に会えて、こんな山の中で友達に会えるなんて不思議な気持ちと嬉しさでいっぱいだった。こんな非日常なフジロックに初めて来ることを選んでくれて本当にありがとう。また来年も会えることを願っておりますよ。

8月23日

あっという間に最終日。
2日目のお昼過ぎくらいから時間が過ぎるのが早くなっていく。ディズニーランドと同じで、夜になればなるほどライトアップが綺麗だったりワクワクするのに、もうすぐ終わってしまう寂しさで心がモヤモヤしてしまう。
それでもこれまで過ごしてきた時間を思えば、幸せな時間だったとちゃんと噛み締めることができる。

これまでの3日間のフジロックで好きだった光景はステージ前のMCのルールの説明で拍手が起きたり、ソーシャルディスタンスの説明があるとみんなが足元を見て場所をズレたり荷物を退けたりしてる光景があったことで、そんなの最低限じゃんって思う人もいるかもしれないけどこれだけの人数の人たちがお互いのためを思ってちゃんと行動できることって素晴らしいことだと思うし、そういうことをちゃんと称えていくことから素敵な連鎖は始まっていくのだと思う。ただYouTubeではこのMCだったりが放送されていなかったみたいで、ちょっと残念な気持ちになった。

3日目も朝から青空が見える天気。今年のフジロックは朝は毎日快晴だった。ただ天気予報だとお昼過ぎから雨が降るということで今日はしっかり長靴を履いていった。
トップバッターのAwesome City Clubを観ていて思ったこと、人が…少ない!前日が多かったせいか今日の少なさには違和感というか、さすがに驚いた。実際には1万人を切っていたそうでここまで少なくて快適な苗場は初めてだと思った。どこにいても常にソーシャルディスタンスで、いつもなら並ぶトイレやオアシスエリアのご飯屋さんも並ばずに行けた。今年は酒類の販売が禁止なのでトイレに行く人も例年よりは少なかったという影響もあるのだろう。
暴れたり大声をだして騒いだり、ルールを無視したりする人がいなかったのは酒類の販売をしなかったということが今年に限っては正解だったのかなと思った。そもそも暴れたい人が酒類の販売禁止で開催の時点で篩にかけられたことは大きかったのかなと感じた。もちろん普段通りの開催になって早くお酒飲んだりして騒いだり歌ったりしたいよねということは前提にあるけど。

レッドマーキーでのSTUTSのライブはゲストが入り乱れる最高の夏のパーティーだった。KMC、Daichi Yamamoto、BIM、PUNPEE、JJJがステージに上がり、『大豆田とわ子と三人の元夫』の主題歌"Presence II & IV"やPUNPEEとの"夜を使いはたして"などイントロが鳴ってからゲストが来た瞬間思わず歓声を上げたくなる演出に気分は最高潮になった。STUTSの人間性がああいった素敵なライブになっているのだと思えて、更に愛は深まった。

午後からは予報通り雨が降り出して、降ったり止んだりのフジロック完全体の天気になった。
そんな中でレッドマーキーに駆けつけた多くのお客さんの心を掴んだのが羊文学だった。
普段から楽曲を聴いてはいたもののライブで観ること自体が初めてだったので、あまりのシューゲイザーサウンドに驚いた。2017年に同じくレッドマーキーで観たSlowdiveを観ているようなそんな錯覚すらした。
今年のフジロックは国内アーティストのみで構成されたラインナップになっているけど、時折こういった想像というか重ねて見てしまう瞬間があった。そう考えると日本だろうが海の向こうであろうが音楽のレベルだとか価値とかそういった差は全く存在しないということを改めて思う。今回のフジロックを通して国内アーティストのステージがひとつでも上がって、もっとフジロックのようなフェスティバルでも大切に扱われる存在になっていってほしいと思った。
それは夜の時間帯に出演していたCHAIにも思ったことで、CHAIは今やSUBPOPと契約して海外でフェスティバルにも多数参加するようになった。だからこそ俗に言う洋楽ファンや邦楽ファンのような壁をもっとシームレスにしていけたらいいなと今回のフジロックですごく感じた。

またその他にも今回のフジロックのラインナップ、メインステージのグリーンステージの女性アーティストの少なさというのが顕著だなということを感じた。女性がフロントに立つアーティストとしてはyonigeMISIAとAwesome City Clubのみで、ヘッドライナーは全て男性アーティスト。これは日本の音楽業界というか芸能界に問題点があるのではないかと個人的に思っている。
例年だったらヘッドライナーにBjorkだったりSiaがラインナップされているところが国内アーティストになるとそこを埋められる存在がなかなかいないということ、これは今回のフジロックを開催したことで浮き彫りになった点だと思っている。だからこそ今回出演している羊文学やCHAI、カネコアヤノなどがそこに太刀打ちできるアーティストへと成長していくこと(もう既にその力はある)、多くの人が知ってもらえるようになったらいいなと思っている。

そして3日目のヘッドライナーはみんなが待ち望んでいた電気グルーヴ。この3日間で初めてヘッドライナーの時間のグリーンステージにフジロッカーだけが集結したように思う。
この苗場の地に瀧と卓球がいる。その瞬間はもう色んなことが集約してこの場所がフジロックだとみんなが感じて踊り倒していたように思う。2人が最高に楽しそうに笑って、グリーンステージの空気が最高の夜を演出していた。
みんながバラバラに好きなように音楽に合わせて踊って、笑ってるこの空間が大好きで、フジロックが本当に好きなんだと心から思えたこと思い出せたこと、この瞬間は何にも変え難いものだった。フジロックに来て良かったとシンプルに思えた。

THE BAWDIESのROYがMCで言っていた「みんなが毎年深く愛して繋げてきた、楽しんできた喜びが魔法のようにこの地に宿ってる」という話のことを思い出していた。みんながこれまで繋げて愛してきたフジロックだからこそここまでみんなで繋げていこうという意思を持って開催できている。これはもう他で変えることができないものなんだと思うんです。ひとつの生命体のようなもので、それを理解できない人がたくさんいることは承知の上だけど、守るべき人たちでちゃんと守っていかないといけないものだと思うんです。
それを今回僕は深く感じました。忘れていたことも思い出しました。この2年の間に諦めたり、もう希望なんてないと投げ出したりしたくなったことも多々あったけど、そうじゃないと。大切なものを大切だと言えなくなる世の中なんて僕は間違ってると思う。そういうことです。それだけのことです。

まとめ

とても長くなりましたが、これは誰のためにも書いてなくて自分のために書いたものです。僕だけの人生、僕だけの選択、僕が見た景色、僕が見た瞬間の話です。あなたの人生はあなたが選べばいい、あなたの大切なものはあなたが守ればいい。
開き直ってもないし、まだ分からないでいる。分からないまま迷いながら進んでる。僕はロックがなんだとか未だによく分からないけど、僕はロックっていうものはロックンロールというものは"転がり続けていくもの"だと認識しています。
時代と共に歌うこと、表現することや方法も変わり続けて進化か退化か分からないまま美しかったり間違ったりしながら常に転がり続けている。だからそれを誰も定義することなど不可能だと思うんです。同じ形や瞬間は一瞬たりともなくて今も尚転がり続けているので、僕もそうなっていたいなと思う。転がって転がっていつか海にたどり着く。そんな人生を生きたい。

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