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Official髭男dism 『日常』────大切なのは解決じゃなくて日々の"癒し"
Official髭男dismこと"ヒゲダン"が、国民的なバンドになって久しい。それはただ知名度がある、ということだけではない。いつでもヒゲダンの音楽は僕らの生活に、人々の日常に、安易な答えではなく答えのない現状の虚しさも一緒に歌にする。それはコロナ禍を経て変わってきたようにも感じる。
日本テレビ『news zero』のテーマ曲として作成された楽曲、"日常"は日々のニュースを紹介した後にその映像と共にエンディングでこの楽曲が流れる。
いろいろなニュースが報じられる中で流れる音楽、
世の中で起きている事と、番組を観ている方々をつなぐhubのようになれたら。
毎日生きていく中で、ふと耳にしたときにいったん深呼吸ができる、
そんな曲になってくれるとうれしいです。(Official髭男dism)
仕事が上手くいかなくて、どうにもならないなと思いながら1人で銭湯に行ってお風呂上がりに何の気もなくテレビの画面を見ていたら、この楽曲と共に1日のニュースを振り返るように全国で起きた今日1日の様々な映像が流れた。
フラッシュを浴びながら頭を下げるスーツ姿の人、海の向こうで活躍してフラッシュを浴びるスポーツ選手、天候の影響で飛行機が飛ばず飛行場の床で眠る人たち、満員電車に乗り込むたくさんの人たち、再会できて嬉しそうな人の笑顔。
良いことも悪いことも、様々な人の暮らしを映した映像を眺めていたら不思議と涙が出てきた。この曲には癒しとため息が同時に詰まっている。
はしゃぎすぎた週末のシワ寄せならばまだ良いのに
変わり映えない 外れない 心に付いた足枷
先の見えない夜の帰り道 「明日なんてなきゃ良いのに」
今何て言った? あぁ、確かめなきゃ良かった
毎日の生活は繰り返しで、うんざりすることや不安なこと、退屈や寂しさなどが渦巻いている。人は暮らしの中の"楽しいこと"でどうにかそれを見えないように気付かぬ努力をしている。
どうしてもそんな気持ちが心のコップに溢れそうなほど充満すると「消えてしまいたい」とか「もう死んでもいいのかも」と思ってしまう日もある。決してそれは心から言っているわけでもない。でも複雑な思いを上手く言葉にできなくて、そんな形になって心にポッと現れてはため息にしてしまう。
そんな帰り道は誰にでもある。誰にでもあるから余計に重たい。
そんな時震えたポケットから 見慣れた文字が光る
その通知ひとつで全てを救い得るあなたの間の良さに
しんどいなぁなんて思ってんのバレてるみたいだ
暗い夜の帰り道を歩いているときに、何もないのに誰かからメッセージが届くと、それだけでなんか救われることってあるよね。この「通知」は友達でも恋人でも家族でも、先輩でも後輩でも上司でも先生でもいい。
自分のことを誰かが気にかけてくれるそれだけで、今日を生きられることってある。
ノルマ以下か以上か 日常は今日も計られる
スーツでもスウェットでもそれは同じみたいだ
変わりないか元気か あなたは今日も気にかける
良い日でも悪い日でもそれも同じみたいだ
どんな仕事をしていても、仕事をしていない時であっても、僕らが暮らしている日常は誰かに計られている。SNSにより人の暮らしは可視化されて、幸せの価値が見知らぬ誰かによって定義されて、自分がさも不幸であるような錯覚に陥って不安に落ちてしまう時がある。
たとえそんな時代であっても、そんな時代に苦しんでいても、良い日も悪い日も変わらず、自分のことを気にかけてくれる人がいてくれる。それはとても愛おしいこと。
この曲の中では「あなたは今日も気にかける」の部分に対してどういう思いかは言語化していないけど、聴いている時にそれぞれ自分の胸に感じた温かさが全てだなと思う。
ヒゲダンの楽曲、藤原聡の書く歌はこういったところで"ひとつの答え"は敢えて提示せずに、ひとりひとりの思いに委ねることが多い。生活の中にある事実を並べて、共感の中で自分達の楽曲を誰かの日常に手渡せることのできる、ポップミュージシャンとしての才能と豊かな心を持つ音楽家だといつも感じる。
凹み過ぎたどん底の最果てよりはまだ良いのに
そう思えない 割り切れない 心に出来た肌荒れ
塗りたくった細やかな幸せ どれも効かなくて
潰せもせずに赤く大きく 時間と共に酷くなってく
「あの時よりはまだマシ」、「もっと辛い時あったから」と自分を鼓舞しながら日々をなんとかやり過ごそうと努めるけど、それとは裏腹に心はすり減ってボロボロになっていくばかりで。
それでもどうにか生きるための安易な目先だけの幸せで埋めて、どうにかこうにかやってみるけど「本当はこれじゃダメ」ってことをみんな分かりながら足踏みばかりしてしまう。
とても人生、とても日常だ。見えてないけど心も肌と同じようにボロボロになっていく。
解決策はいくつかある事 分かってても踏み出せない
ホメオスタシスの7文字に容易く躓いてる心じゃもう
しんどいなぁなんて嘆いたって迷惑みたいだ
「ホメオスタシス」とは恒常性とも呼ばれ、変化を拒んで一定の状態を維持しようとする身体の働きのこと。本当はどうするべきなのか、どうしたら現状を解決できるのか分かっているのに人はどうしても進めない時があって。「まあね」とか「分かってるんだけどね」みたいな言葉で濁しては「しんどいな」なんて言葉で現状を嘆いてしまう。
答えは分かっているけど、欲しいのは答えじゃない。しんどいねって分かり合いたいだけ、そんな日もあるよ。
何をどうしたいのか 自分の事を推し測る
辛いとか辞めたいとかそれも日によるみたいだ
何でも打ち明けてと 言われる度に言えなくなる
ご厚意に甘えるのも割とキツいみたいだ
別に大した事ないよ 話すだけで十分だよ打たれ弱いくせして あなたにまだ良い顔をしていたい
自分が何をしたいのか、自分がどう思っているのか、嫌なのか嫌じゃないのか、自分の心というのはいつになっても分からないもので。大人になればなるほど自分のことと同じだけ、それよりも少し多いくらい他人のこととか環境のこと、周りのことなどたくさんのことをグルグル考えてしまう。
その結果、誰に頼っていいのか分からなくなって、こんなことで悩んでいる自分の未熟さに落ち込んで塞いでしまう。
"繋がっている"人はこんなにもいるのに、人に頼ることはどんどん下手になっていく。
ノルマ以下か以上か日常は今日も計られる
スーツでもスウェットでもそれは同じみたいだ
変わりないか元気か あなたは今日も気にかける
良い日でも悪い日でもそれも同じみたいだ
変わらない人たちに悩まされては癒される
強がれるこの強さが割と大事みたいだ
不細工な心ひとつ日常を今日も生きる
みんなそれぞれの街で、街灯に照らされたアスファルトの上を歩いている。歯を食いしばって歩く日もあれば、スキップで歩く日もある。手を繋ぐ日もあれば、ポケットに入れて歩く日もある。良い日でも悪い日でもそれは同じで、自分が何をしたいのか、果たして正しいのか間違っているのかなんて分からないままに不安を抱えている。それでも、このバラバラで不揃いな心を抱えて「今日も生きる」で"日常"という曲を締める。
途中でも書いた通りにこの曲で"ひとつの答え"のようなものを提示することはない。迷ったり、分からなかったり、決められなかったり、言えなかったり、迷うことやできないことも"普通"だよ、と歌ってくれる。それでも、唯一この曲で答えとして言い切っているのが最後の歌詞「不細工な心ひとつ日常を今日も生きる」というものだ。
上手くできないこと、どうしようもないことは山のようにある。ダサいこと、もう逃げてしまいたいこと、それも分かるよと歌ってくれる。それでも、どうかあなたの日常を生きていてほしいという、曲の最初から始まるそれぞれの日常をこのメッセージで包括するのだ。
『自分ひとりだけじゃないんだ』という思いを感じるだけで、人は気持ちが軽くなったり変わったりできるので、曲の中から1つでもその思いを見つけてもらえたら嬉しいです。(Official髭男dism 小笹大輔)
誰かが途方に暮れてしまうほどどうしようもない時、どうかこの曲の再生ボタンに指が伸びますようにと思っている。今日も終わりのない日常は続いていて、この後もずっと続いていく。そんな当たり前のことに不安になりながらも、少しでも今日を生きられる音楽があること、それをポップミュージックのど真ん中にいる人が寄り添って形にしてくれることがとても嬉しい。
この歌が誰かの暗い夜道の足元をそっと照らしてくれる灯りになりますように。