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母の親友だった彼女は、母を愛していたのだろうか?

 藤本さんは、母親の高校時代からの親友の女性で、今から二十年前に亡くなった。親の介護疲れによる自死がその理由だ。
 彼女は生涯独身を貫いていたが、私はその理由を知らない。

 藤本さんの死を母から聞かされたとき、彼女が私の母を恋愛対象として好きだったのかもしれないと、はじめて気がついた。

 私は人の心の機微にうとい自覚はあるが、それにしても何故それまで、藤本さんが同性愛者である可能性に思い至らなかったのだろう。
 おそらく私にとって藤本さんという存在が身近にありすぎて、母との関係性を改めて考察することを、心のどこかで拒否していたような気がするのだ。

 私の母方の祖父は大手の製菓会社に勤める転勤族で、かつての高度成長期において全国の営業所を転々としていた。そのため私の母親は、東京で生まれ、札幌の中学校を卒業し、本州の最果て山口県下関の高校で藤本さんと出会った。
 大抵の子どもは親の若い頃の話など聞きたくもないものだろう。もちろん私もそうだった。私は若かった母がどのように、あの美しい海辺の街で青春を過ごしてきたのかを知らない。

 私の母は下関の高校を卒業すると、祖父の関西への転勤に合わせて大阪のメーカーに事務員として就職をして、レジスターのセールスにやってきた私の父と出会った。
 母親の話によれば父親の一目惚れだったらしい。そのときは母の見栄かとも思ったが、父の性格からすればありうる話だ。
 そうして私が生まれた。

 私の幼少期のアルバムには、生まれたばかりの私と写る、二十代の藤本さんの写真があり、別の写真には私の三歳の誕生日ケーキを囲う、おどけた笑顔の母と藤本さんの姿が残されている。
 藤本さんは高校卒業と同時に母とともに来阪し、私の母と同じ街に暮らすことを選び、折に触れてわが家に遊びに来ていた。

 彼女が家庭から抜け出したかったのか、都会へ出てみたかったのか、もしくは母を追ってのことだったのか、それは分からない。だが、亡くなるまでの三十年の間、藤本さんは私たち家族の暮らす街にともに住み続けた。

 私の目に映る藤本さんは、母の他に友だちがいるようには見えなかった。私といるときはいつも笑顔を浮かべていたにも関わらず、どこか陰を含み、憂いを帯びて寂しそうに見えた。私たち家族のプライベートには踏み込まないように気を配っていたが、それでも藤本さんにとって母は光で、心の拠り所だったのだと思う。

 私の母は八方美人で、人に好かれていたいと強く願う人間だ。面倒見が良く、共感力は高く、人に何かをしてあげることを好む。そうして相手と同調し、相手に求められることを強く願うのだ。
 母が私に「お父さんは、お母さんのことを好きすぎるのよね」と、話したことがある。その言葉がやけに心に引っかかったことを覚えている。
 
 ……藤本さんも、母のことを好きすぎたのだろうか?

 私は社会人になってから一度だけ、藤本さんの暮らす公団アパートをひとりで訪ねたことがある。パソコンの手習いを始めたという彼女のために、PCのセッティングをしに行ったのだ。
 彼女の部屋はきれいに片付けられており、あまりにものが少なく、広さを持て余しているように感じられた。
 公団の抽選に当たったと喜んでいた藤本さんの記憶と殺風景な部屋の現実を対比したとき、この人は独身で寂しくないのだろうかと思うようになった。
 そしてそれが、私が藤本さんと顔を合わせた最後になった。

 ある日、母親が何気なく「藤本さんと少し距離を置くことにした」と私に向かって告げた。
 何があったかは聞かなかった。私は共感能力が低く、王様の耳はロバの耳の縦穴のように、よく母親の壁打ち相手として使われていたのである。私はただ黙って耳を傾けた。

 それから数年後、同じ母の口から藤本さんが自殺したことを聞いた。
 遺書の宛先は私の母親宛で、親の介護に疲れたと書かれていたという話だった。本当だろうか?
 その時も、私は黙ってそれを聞いていた。しかし、私の頭の中では藤本さんが私の母を愛していたのではないかという気づきに囚われていたのである。
 藤本さんが亡くなることで、私はショックを受けると同時に、皮肉にも彼女をひとりの生きた存在として見つめ直す機会を与えられたのだった。

 絶交していた母に向けられた遺書は、書かれていた内容の如何に関わらず、呪いでありラブレターにほかならない。私の母親がそれをどのように飲み込んだのか、私に推し量ることはできない。

 故人の心の内は知り得ないし、ふたりの関係を母に尋ねる勇気が私にはない。
 人の心の機微がわからない私は、その分想像力で補う癖がある。だから考えてしまうのだ。

 なぜ藤本さんは生涯独身を貫き、高校の同級生に過ぎない母親のいる町に三十年もくらし続け、絶交したはずの母に宛てて遺書をのこしたのか?

 もしも藤本さんが同性愛者で、私の母に想いを寄せていたのだとしたら、母が結婚して家庭を築くことを、彼女はどのように飲み込んでいたのだろう。
 そして、私の母親は藤本さんの存在をどのように受け止めていたのだろうか。

 母は父や藤本さんから愛されることを望んでいたが、母自身の愛はどこに向けられていたのだろうか。

 母を愛しすぎた私の父親は、藤本さんが亡くなって数年後に病気で他界している。私を含めた子どもたちはすでに独立しており、母は今、かつての藤本さんのように単身で暮らしている。

 母親が健在なうちに真相を聞くこともできるだろうし、おそらく母の手元に残されている遺書を後に開くこともできるだろう。しかし、繰り返しになるが、それをする度胸が私には無く、同時に聞いてしまってはもったいない気もするのだ。

 虚実をないまぜにして、現実と地続きの空想の物語を思い描くことも、真実を知り得ない私の特権なのだから。


 以上、私の母親にも多感な年ごろの青春時代があって、その中で、後に三十年もの関係が続くひとりの親友を得たという事実以外はすべてフィクションであり、出てくる固有名詞は仮名であることを申し添えておく。

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