トミーズ健が坂田利夫の追悼記事で、ストリップに二人でよく行ったという話をしていた。若手の方たちにどうぞともらった招待券を自分たちで使って通い詰めたとか、師匠は照れ屋でおさわりの時に下を向いてた、とか、最低のエピソードだった。トミーズは嫌いだが、健の方はちょっと好き。どうしようもないダメな兄ちゃんというこの感じは、大学のお笑いサークルで技術を磨いて厳しい生存競争に乗り込んでくる昨今の芸人とは真逆の、芸人しかなれなかった人感があって、しょうがない人だなぁ、と見ている方が優越感をいだける。維新ヨイショ関連では、たぶん、雅のマネをして最低なことを言っているのだろうけど、最近はテレビで見てないから知らない。
何の話だったか。この記事で、彼らが通っていた劇場の名前・九条OSを久しぶりに目にして懐かしくなってしまい何か書こうと思ったのだ。とはいえ、ほぼ実名で書いているし、いろいろひっかかりもあるから、ぼんやりとしかあれなのだが、一時期、なじみがあったような記憶の断片がちらちらと何かするのだ。チケット売りの穴場が何とも不気味だったことなどを今突然思い出したり。というわけで、書かないのだけど、そういえば、こういう所にあれしていることを、昔はぺちゃくちゃ喋っていたな、ということも思い出し、あーあと思うのであった。前回書いた話なんかも、その頃、付き合いのあった人たちにはだれかれかまわずペラペラと話していた。だんだん、ストーリー展開も整理するような感じで。自分の情けない話聞いてください、というあれで。
露悪趣味というのは、甘えだ。世の中に甘えていたのだ、ということが今ではよくわかる。芸人でもないのに、芸人気取りだった、というのもあるかもしれない。まだ「すべらない話」とかはやってなかったが、何となく、自分もそういう文化圏にいるような勘違いをしていた。バカだ。
いろいろ仕事をやめたら、このあたりの思い出も残しておきたい気もするが、年々記憶も薄れるし、消えた方がいいという気持ちにもなってきている。ググってみたら、九条OSはとっくに無くなっていた。OSが「大阪ストリップ」という何のひねりもない意味だったのは、ウィキペディアを見て今日知った。