向日町競輪に行ってきた。この開催が終わったら5年間の全面改修に入るため、なじんできた古い施設は見納めになる。8日(日)が決勝戦で本当の最後だが、今日で最後です、みたいな日に行くのは何となく嫌で、前日の準決勝にしておいた。向日町は自宅から最寄りの競輪場になる。かつては、西宮・甲子園というもっと近い所があったのだが、それらは2002年廃止になった。岸和田、奈良もそれほど遠くはないが、複数の会社線を乗り継がなければいけないので交通費がかかる。生観戦がますます縁遠くなる。 最初に向
今日は伊丹空港が逆ランのようだ。普段は南に着陸して北に離陸する滑走路が、風の強さ風向きによって反対になることをそう呼ぶ。台風はまだ奄美のあたりだが、この辺りでももう風は強まっている。前に住んでた家では、真上に飛行機が飛ぶ日が逆ランだった。去年の引越しで伊丹空港に近付いた。普段と音が全然違う。南に離陸した飛行機がすぐに方向転換し、この辺りの上空を飛んでいるのだろう。逆ランというのがある、と教えてくれたのは、大学院生時代、バイトで知り合ったちょっと年下のA君だった。大学で航空部に
翌日、おまけで寄った大磯の話を先に書いてアップしたが、主目的の平塚オールスター競輪観戦記も一応。 平塚駅に到着したのは午後五時前。北口の階段を降りたあたりにシャトルバス乗り場があった。8時間の長旅で疲れていたから、飲み物でも買ってちょっと休んでから向かいたかったが、警備員が「競輪場行き間もなく出ます!」と急かしてきたので、次のバスを待つのもバカらしいかと飛び乗った。ナイターで5レース目くらいの時間だったが、かなりの乗車率だった。オールスター競輪は2016年からお盆に開催され
平塚まで、オールスター競輪の決勝戦を見に行った。片道8時間の18キップ旅で、朝出発し到着したのは午後5時前。ナイター開催だったから11レースあるうちの後半半分以上は観戦できた。最終レースで中穴が当たり、久しぶりのプラス収支で気分は良かったが、競輪場は夜になってもとても暑く体力は消耗した。8時間乗車の疲れも重なり最後はヘロヘロだった。平塚駅近くに宿をとった。コンビニで発泡酒とつまみを買って飲んですぐに寝た。翌日はまた8時間かけて帰るだけだった。 ただ、折角、湘南に来たのだから
阪神百貨店で古書の市が開催されている、という情報をツィッターで知り行ってきた。一年前まで自転車で梅田にいける場所に住んでいたが、今は電車に乗らないといけない。自転車で無理やり行こうと思えば行けんことはないが、この暑さではさすがに無理だ。電車賃払ってまで行くのもな、ということになり梅田に行く頻度は減った。前期は週に一度梅田で乗換えをする日があったが、いつも疲れてヘロヘロだったから、ただ乗り換えるだけで、どこにも寄れなかった。晩飯のために吉野家に寄ったくらい。かつては梅田界隈に何
先日、ギャンブルレーサーの田中誠さんのお宅にしれっと2度目の訪問をした。前回、また来てくださいと言ってくださったので、それならばと本当におしかける素直なおじさんの私。大変歓迎していただき、せっかくなんでということで、第17代競輪王の桜井久昭さんや、その他、選手OBの皆さんまで呼んでいただいた。元プロスポーツ選手の飲み会のペースに、生粋の文化会系がついて行けるはずもなく、久しぶりに酔いつぶれてしまったのだった。せっかくの面白い話も、翌日にはかなり抜けてしまった。でも楽しかったか
新学期以降忙しくなるので、今のうちにとひとり暮らしの母のはなし相手をしに実家に寄った。この間まで痛がっていた足が復調したと喜んでいた。なら、天気もいいし、運動がてらどこか散歩にでも行こうか、行きたいとこある?とたずねると、中之島美術館という答えが返ってきた。美術館はたびたび行っているらしいが、中之島はご無沙汰だそう。今はモネ展開催中とのことだった。新聞などの広告を見て気になっていたらしい。母は『日曜美術館』とかはよく見ていて一般的な知識は持っている。モネや印象派が特に好きなわ
10年くらい前だったか、韓国文化交流会というイベントに参加した。大阪で勉強している韓国人留学生たちと、日本人韓国語学習者が集まるような会だった。日本人の方は、韓流ファン女性が大半だった。そのひとり、たぶん20代くらいの若い女性だったが、あるグループのファンだというので「今月号のnon-noの表紙でしたね、あんな有名雑誌の表紙飾るなんてすごいですね」と話しかけたら、キョトンとされた。まるで言葉が通じてないような感じだった。これはなんだろうと不安になりつつ、その後、少しやり取りし
すでに書いたように、先日、久しぶりにフィールドワーク的な遠征に行ってきた。テーマは(広い意味の)五輪(自転車競技)遺産を見て回るというもので、具体的な内容についてはいずれ。 初日は、さいたま市の大宮競輪場の見学で、拙著を読んだと連絡をくれたただ一人の競輪選手である白岩大助さん(選手会埼玉支部長)に案内していただいた。ひとりで訪ねるつもりだったのだが大学生S君が同行することになった。彼は、いろいろお世話になっているY先生のところのゼミ生で、競輪をテーマに卒論を書いたという。Y
先週、新幹線に乗った。前に乗ったのは、2019年の9月だから5年ぶり。この時は、伊豆の競輪選手養成所の見学に行ったのだった。初めての本を出してすぐで、その勢いで競輪界のフィールドワークを続けよう、という意欲が出て自腹を切った。収入と支出、ほぼとんとんで暮らしているから、余計な支出はイコール赤字となる。生活費を切り崩しての旅費捻出だった。養成所はアクセスが悪く、18きっぷで行くには無理があるため仕方がなかった。この時の見聞はまだ形に出来ていない。コロナがなければ、もっと活発に競
先日、門脇真由美さんの話を聞きに行ってきた。 門脇さんは、2012年デビューのガールズケイリン1期生、昨年7月、11年にわたる現役生活を終えた。実は、デビュー半年後くらいの時期に、一度、練習を見学させてもらいに行ったことがあり、ずっと気になるレーサーのひとりだった。引退のニュースを聞き、もう一度、話を聞きに行かなければと思った。アマ競技経験の豊富な門脇さんにとってガールズケイリンの世界はどんなだったか、仕事としてどうだったか、いろいろ聞きたいことがあった。最後のレースから半
トミーズ健が坂田利夫の追悼記事で、ストリップに二人でよく行ったという話をしていた。若手の方たちにどうぞともらった招待券を自分たちで使って通い詰めたとか、師匠は照れ屋でおさわりの時に下を向いてた、とか、最低のエピソードだった。トミーズは嫌いだが、健の方はちょっと好き。どうしようもないダメな兄ちゃんというこの感じは、大学のお笑いサークルで技術を磨いて厳しい生存競争に乗り込んでくる昨今の芸人とは真逆の、芸人しかなれなかった人感があって、しょうがない人だなぁ、と見ている方が優越感をい
今もひどいが若い時の自分はもっとひどかった。最後の審判か、閻魔様の前か、そういう時に、若い時の自分のしょうもない姿をそのまま動画で見せられたら、情けなさで憤死してしまうだろう。死んでる以上、もう死ねないんだから、それこそが地獄だ。 正月早々、大きな地震があって関連ニュースを見ていると、同じく1月だった阪神大震災の頃のことが思い浮かぶ。と言っても、この時も自分には何の被害もなかった。親しくしていた人を亡くしたということもなかった。大阪市内では最西の兵庫県との府県境の実家に住ん
以前は普通に初詣をしていた。住吉大社とか大きな神社にわざわざ行くこともあった。だいたい親と一緒だったが、大学生の頃は、友だちとどこか(住吉大社とか八坂神社とか春日大社とか)に行ったような記憶もある。30代後半くらいからか、意識的に行くのをやめた。神社本庁的な、日本会議的なものへの反発心も生まれたし、信仰心みたいなものが芽生えかけたのもひとつのきっかけかもしれない。ぱっとしない人生であることが見え始め、どうも自分自身をうまくコントロールするのに失敗していることが分かってくると、
読者はほとんどいないとはいえ、一応、オープンな場だから書けないことも多い。講義で使った言葉について、受講生から、そんな言葉を使ってはいけない、だから修正しろ、という連絡が来て、ぷんぷん、ということも詳しい内容は書くべきではない。丸一日近く、うーん、と頭の中をぐるぐるして疲れた。丁度、一週間前に、愛聴している有吉のラジオにフワちゃんが出てて、彼女が「変なフェミが…」と、ネット上のアンチフェミと同じような言葉遣いをしていたのに腹が立ち、それをツィッターで書いたらビックリするくらい
140字では書きにくい愚痴の種が出来たから書いておく。 今学期は10コマ以上の授業を担当できている。今までで最高の数。うちひとコマは全く新しい科目なので、準備に一番エネルギーを使っている。ええ加減な内容だが、それでも、全く何もない状態から90分持たせるなにかを準備するのは大変だ。受講生はすごく少ないのだが。そういうのもあり、バイトに追われる一週間みたいになっている。それだけやっても、20代後半の高卒労働者の平均収入程度。大学院の学費とか考えたら、本当にバカな人生になったと後