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以前は普通に初詣をしていた。住吉大社とか大きな神社にわざわざ行くこともあった。だいたい親と一緒だったが、大学生の頃は、友だちとどこか(住吉大社とか八坂神社とか春日大社とか)に行ったような記憶もある。30代後半くらいからか、意識的に行くのをやめた。神社本庁的な、日本会議的なものへの反発心も生まれたし、信仰心みたいなものが芽生えかけたのもひとつのきっかけかもしれない。ぱっとしない人生であることが見え始め、どうも自分自身をうまくコントロールするのに失敗していることが分かってくると、宗教関係の本(仏教、キリスト教)にも手を出すようになったのだ。そうなると神社など拝むのは間違っている、というような気もしてくる。

4年前に父が他界して以来、母にはひとり暮らしをしてもらっている。年越しくらいは付き合おうと大みそかには泊まるようになり、元日には再び初詣にも付き合あうようになった。家の「宗派」が神道なので、母にとって神社に行くのは、法事みたいな意味があり、父のために行くような感覚もあるよう。父に会いになのか、父の代わりになのか、父と一緒に行ったのを思い出すためか、その全部か。

去年は、散歩がてら西宮神社まで足をのばしたが、今年は近所の神社だけにした。80を越えた母の足で20分から30分くらい。良い天気で暖かい元日だった。母は道中からマスクをしていた。人混みに近付いてからでええんとちゃうか、と言ったが、近所の人に会ったら面倒くさいからな隠れてるんや、なんてことも言っていた。神社に近付いたら自分もマスクをつけた。おまじないかもしれないが、コロナもインフルも移りたくはない。神社で移ったなんてことになったらどうしようもない。

元日の昼前で、鳥居から列ができていた。20年くらい前には、よっぽどの右翼でもないかぎり、いちいち鳥居で一礼なんてするようなのいなかった気がするが、今はそういう決まりだ、と思い込んでいる素直なニッポンジンが増えたよう、いちいち拝んでから並ぶ人もいた。コロナ前は冷酒が飲めたそう。あまり酒は飲まない母だが、冷たくてやけに美味かった、と言っていた。境内ではちょっと焚火をしていた。母は、だったらお札もってくればよかった、と後悔していたが、15日がどんと焼きなのでその時にもってくればいいか、ということになった。例年そうしているのだが、小さいことを何度も後悔するのが母の癖だ。お札と言っても、町内会でもらう「火の用心」という紙一枚だけなのだが。小学生くらいのガキが焚火に、そこら辺の生木を放り込んで火遊びをしていたから、煙がたって迷惑だった。「危ないで」と注意しようかと思ったが、ヤンキーみたいな親が出てきたら面倒だからやめておいた。

賽銭は入れないことにしていたが、母と二人で初詣するようになると、母が、これ入れろと小銭を渡してくるようになったから、それなら自分で入れるわ、と入れるようになった。この神社は、かなり日本会議寄りなんで本当は一銭も入れたくはないのだが、母の顔をたてて5円入れた。母も10円しか入れないから、十分な額だ。後ろが待っているから、小銭ポイッ、鐘ガラガラ、柏手ポンポン、トータル10秒くらいの動作で終了。10秒の間、今苦しんでいる生活上の悪い状況があるから助けてもらえないか、という願いがちらっと頭をよぎる。でも、できるだけ無に戻した。どっちでもいいんだけど。母のスマホで写真をとる。母は、孫といっしょににぎやかに来ている家族をうらやましく思っているのだろう、ということをできるだけ気にしないようにして、何でもない話だけをしながら帰ってきた。

昼にはパンとコーヒーを飲んだ。少しテレビを見て、夕方前に帰ってきた。家まで自転車で20分。その間に、地震があったが自分は気づかなかった。揺れて怖かったらしい母から、大丈夫だから心配しなくていい、という電話がかかってきたが、なんのことか初めは分からなかった。晩飯は、同居人とチェーンのとんかつ屋で500円の定食を食べた。最近は、晩飯を食べ終わったらケンカ気味になる。この日もなった。

去年と同じような、元日になった。
できれば、マシな年にしたい。

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