ワヤを栄養に-青春と人生の交差点-
誤報係長になる前(笑)経験した、「やっちまった」お話をもう一つ。
10年ほど、ある工作機械のオペレーターしていました。鉄の塊に穴を開けたり、削る仕事です。オペレーターとはいえ、仕上げは手作業も入る職人肌の強い仕事でした。
ある日上司から呼ばれ、試作品を任されることになりました。
素材の希少性が高く、材料費は工具含め約100万円。
2週間ほど前から胃をキリキリさせながらも機械のセットアップに工具の微調整、シュミレーションを繰り返し迎えた加工当日。
一発勝負。
バンジージャンプの前と同じ心境でしょうか。したことないけど。
「作業開始」ボタンがなかなか押せずに、触っていても人差し指がその先に進まない。ものすごい葛藤でしたがぐっと力を込めてスイッチON。甲高い音と共に加工スタート。
加工時間はおよそ30分。見えない緊張の糸が張りつめる中、加工は順調に進み、
フウ…入りはいいね…
あと10センチ…
あと5センチ。よしよし…いい子
※製品に愛着が湧くと、子供扱いになる
あと1センチ、あと1センチ…完成だ…頑張れ…
というところで、
「バキッ!!」
一瞬の振動と異音。と同時に異常センサーのアラームがけたたましく鳴り響き、私は慌てて機械の非常停止ボタンを、壊れるくらいの勢いで叩きました。
のぼせる頭。毛穴という毛穴から一気に噴き出る水分。「脂汗ってこういう汗か」と感じた瞬間。
頼む無事であってくれ…
祈る気持ちで工作機械のドアを開けると、金属が焼けた匂いと共に、ひびが入り、工具が折れて刺さっている試作品が。
名古屋では駄目にする事を「ワヤにする」って言うんですけど、一緒にいた同僚も
「ワヤだわ…。」
と一言。私は血の気が引いて、その場にペタリと座り込みました。
特注品だった専用工具もポッキリ破損。長く使えば半年使えるもので、当時50万ポッキリ。
あーこれ。
やっちまったなこれ。
割れてしまった材料を機械から外し、それを持って報告しに行くのに、足が重い重い(苦笑)
「あー人生終わった。クビだ‥弁償だ‥どうやって払おう‥」
なんて半泣きで事務所のドアを開ける。震えていました。恫喝覚悟です。
ところが、100万で仕入れたのに「ワヤ」にした試作品と工具を差し出すと、上司は試作品ならぬ「駄作」品を見て、
「ほっほおおー♪ワヤじゃんこれ。」
と一言。
なぜかカラオケの合いの手のような「ほっほおおー♪」で、吹きそうになったのをギリ我慢。
今だから言える。
アン・ルイスじゃねえから。
その場で上司は材料屋と工具メーカに電話。3日後には代替えの材料と工具が届き、次は「師匠」と尊敬していた先輩が製作をして、結果的に納期通り試作品を納めることが出来ました。弁償もなし。
本来ならば材料も工具も1ヶ月ほどかかる受注生産品。前もってスペアを注文していたそうですが、上司は敢えて私に言わなかったのです。
上司からすれば、私が失敗することは想定済みだったんですよね。
ただ、「ここで決めなければならない」というプレッシャーは経験しないと積みあがらないことも承知で、私にはスペアがあることを伏せていました。
先輩は笑いながら「そんな顔すんなよ。死なないから。」と、落ち込んでいた私の肩を叩きつつ、駄作品を片手に、そうなった原因と今後へ向けてのフィードバックなどしてくれましたが、最後に
「二度目はないからな。」
と静かに言われた時、背筋が伸びた記憶。
本来なら、失敗は許されない。
今でもこれ書きながら手汗が(笑)。
以降も何度か高額な試作品の製作を任されましたが、無事にお客様へ納品できるものを作ることが出来ました。技能を磨くチャンスをくれた上司や先輩のお陰。
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この一連の出来事がその後、後輩や部下にノウハウを伝える時の支えになりました。加えて子育てに対する考え方にも影響しましたね。いい経験をしたなあと今でも思います。
駄目だった時のフォローを万全にし、失敗しても「なぜそうなったか」「これからどうしていくのか」を諭す。そうやって人を「成長」させていくのだと、先輩や上司に教わったんですよね。
いきなり何かをできるのは、一部の強運を持つ天才か変態くらいで、大概誰でも失敗はします。それを栄養にして成長していくんです。先輩には敬意を表し、上司になったら忍耐と伏線をしっかり張る。親の立場も似ている気がします。
やっちまったなあと思ったら、まずは迷惑をかけたことを詫び、原因を見つけ、対処し、今後につなげる。
同じチーム内でやっちまった人がいれば、その本人を責める前にまずはフォロー。それが終わってから煮るなり焼くなり励ますなりすればいい。そうやってチーム全体も成長すると思うのです。チームを家族にも置き換えることが出来ますね。
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老婆心ながら最近憂いでいるのは、「失敗」を恐れるあまり、極端にそのリスクを避けようとしている人を見ます。受ける側も、与える側もね。「無理」が反射的に口をついて出てしまう。「なぜそれが無理なのか」を明確にしないまま。
嫌がらせや悪質なものは別として、仕事でもなんでも、何かをお願いされたら「無理」は一旦押し込めて、とりあえずやってみたらいいじゃない?
相手だって、「あなたならやってくれるかも」とある程度の期待を込めて声をかけていると思うのです。光栄じゃないですか。
それが例えば失敗したって、そこで経験したことが、何かしらの栄養になると思うんですけどね。古いのかしら。
子供からたまに「今はそんな時代じゃない」って言われるんですけど、人間の本質ってそんな変わらないと思うんだけど。
でも最近はあれね、見ず知らずの人が犯した失敗を、鬼の首でも取ったかのようにつるし上げてしまう人が多くなったなあとも感じます。それもすごいスピードで。ある程度気が済んだところで次の獲物を探すように這い回っている人をみると、それをした先に、あなたの心に何が残るの?と問うてしまいたくなる。
どこかで何かをたくさん我慢をして、どうにも抑えきれなくて吐き出してしまうのかもしれないけれど。
「怒り」は時には必要な感情だけど、大事なのは「我を忘れて」はならないことかなと思う日々です。きれいごとですか?そうですね。でも、本心だから。
その時間とエネルギーがあったら、花の1輪でも飾って本の一冊でも読んで、心に残る映画の1本、素敵な写真の1枚でも観て、その人自身が今より素敵な人になればいいのになあ。なんて。
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お読みいただいてありがとうございました。
この現状が収束し、賑やかな時間が帰ってくることを願いつつ、お店にいる気分でまたお話出来たらと思います。今度は少し、甘くて淡い想いが残るお話でもしようかな。
よかったらまたふらりとお越しください。お待ちしております。
よろしかったら「#青春と人生の交差点」のハッシュタグを付けて、今だから笑える皆さんの人生経験や青春話、お聞かせください。
皆さんの言葉が、誰かの気持ちをフッと緩めるような、ちょっと背中を押すようなお話、お待ちしております。
(ワヤを栄養に-青春と人生の交差点--Fin-)
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