広島ジーンバンク廃止を擁護する
とある記事で広島ジーンバンクという事業が廃止されることを知りました。
検索すると広島ジーンバンクを守る会も結成され、継続を求めるオンライン署名なども行われたそうで、検索結果画面は廃止反対一色になりました。
ジーンバンクは生物多様性や農業分野などで有用な生物の遺伝子資源を保存するための施設とのことです。実際の運営はジーンバンクが種子を保管し、希望する農家に貸し出し、借りた農家は翌年、栽培の結果の報告に加えて配布を受けた種子と同量以上の種子を返却することで種の更新を図る仕組みです。農家に種の更新を任せることで低予算(人件費で330万円とのこと)で事業が運営できます。
理念は高邁です。
ですが、この仕組みでよく30年余りも運営できたものです。どんな素人にだって判る欠点が二つあります。
人気のない種は更新されない
返却された種の品質が保証されない
ちょっと詳しく書きます。
人気のない種は更新されない
種は保管がきちんとなされていれば、何年も生き続けますが、それでも寿命はあります(寿命の長さは種によってかなり異なります)。農家だって商売ですから育てて商品性のありそうな品種にしか興味を持たないでしょう。人気のない品種は寿命で死ぬのを待つだけです。ジーンバンクは野菜や水稲の種子を約1万8千点集めたそうですが、そのうちの有用な135点は県農業技術センターに移し、6千点余りが国の食品産業技術総合研究機構(農研機構)に移管されるとのことです。その6千余りの品種もどれだけが生き残っているでしょうか。
「伝統野菜の復活に貢献 広島の在来種野菜のタネを保管してきた「ジーンバンク」終了 なぜ?」という記事では理事長の「缶の中にあるやつが芽がでるかは正直わからない。それで生きた状態で保管できているかというと残念ながらできていない」という言葉を紹介しています。
一方、広島ジーンバンクの種の移管先である農研機構では5年に一度の頻度で発芽テストを行い、発芽力が落ちたものに関してはきちんと更新されています。返却された種の品質が保証されない
植物の品種によっては植物の交雑を防ぐのは難しいことです。虫や風が別の品種の花粉を運んで種を付ければ、農家が借りた種とは別の種をジーンバンクに返却することになってしまいます。その種をチェックすることも難しい。
交雑を防ぐにはちょっと畑の離れた場所に植えておくだけでいいというようなものではありません。かつて日本で種苗会社がオープンな畑で育種などを行っていた頃は畑の周り何キロもの農家に向かって育種対象と交雑しやすい野菜は育てないで下さいと頭を下げて回っていたという話を聞いた覚えがあります(うろ覚え)。
品種を守るには徹底的に隔離された環境が必要です。そうそう出来ることではありません。
伝統野菜として販売するには別に多少交雑しようと誰も気にも留めないでしょうが、ジーンバンクとしては宜しくありません。
有用な生物の遺伝子資源を保存するという理念は立派です。ですが、それを実現するための方法論がずさん過ぎるのです。
きちんとやろうとすれば多額のお金が必要です。専門の職員や種の更新の為のエキスパートが必要です。どこからそのお金を捻出するのかが抜けています。二つのやり方が考えられると思います。
純粋に研究用の資産として管理する
国なりが科学研究の為としてお金を出すことです。専門性が必要でしょうから集中して管理することが望ましい。その意味で今回、広島ジーンバンクを諦め、国などの専門機関に業務を委譲するのは賢明な選択だと考えます。
その地方で育ててこその伝統野菜とか、気候風土によって育ち方が違うから地方で保管すべきという論調も廃止反対の意見の中で見かけましたが、冷蔵庫の場所は遺伝子に影響しません。ニュースクリップで専門家と称する方が大真面目に地域に種があることが大事なんだと力説していらっしゃいましたが、正直笑っちゃいました。日本国内にあるなら違いは、育てたいと思ったときに送ってもらうのに送料がかかる位のものです。
栽培における知見なども第一に栽培者が蓄積するものです。種を出し入れするだけのジーンバンクが栽培者に助言を与えることが出来るとは思えません。助言が必要なら栽培者がレポートでも書いて公開するべきですし、レポートの管理くらいなら民間で充分にやれますし、やるべきです。遺伝子資産を利用して収益を上げる
具体的には伝統野菜としてブランド化したり、種苗会社がやっているように新しい品種を生んで収益を上げ、その利益を種の保存に充てることです。
公的な研究機関以外で種という遺伝子資産をもっとも数多く、きちんとした形で保有しているのは種苗会社ではないでしょうか。
一部の人たちからは忌み嫌われるF1種子ですが、要はただの雑種です。ですがきちんとした雑種を作るためにはきちんとした純系が必要です。種苗会社は数多くの純系品種を保持しており、掛け合わせて新しい品種を作っていくわけです。
日本の野菜の種は9割が海外で生産されているとして危機感を煽る論調もあります。確かに手元にある種子の原産国はほぼ外国です。ですが、この表現は誤解を招きます。種の交雑を防ぐには周囲に交雑しそうな植物のいない、広大な環境が必要です。必然的に種苗会社は土地の安い外国で農場を作ったり、委託生産をすることになります。海外資本に種が独占されているわけではありません。日本企業が海外生産したものを逆輸入するようなものです。
世界の種子売り上げのシェアでは2%程度と日本は存在感がありません。日本の種苗会社が野菜や花に特化している一方で世界の種子売り上げの大半を穀物が占めるからです。ですが野菜に限れば、日本の世界シェアは17%にも上ります。日本の種苗会社の能力は大したものなのです。それは日本の種苗会社が蓄積したノウハウもさることながら、豊富な遺伝子資源を抱えていることも大きい。
では、ジーンバンクの掲げた、有用な生物の遺伝子資源を保存するという理念を守るために個人として出来ることはなんでしょうか。
伝統野菜を購入することは良いことだと思います。伝統野菜を守っている農家を応援することで品種の保存に繋がります。ただ、この方法では数をこなすことが難しい。
ブランド化するには地域で協力する必要があります。収量や耐病性を鑑みて、どの農家も伝統野菜を育てたいと望むとは限りません。消費者の嗜好も変わります。廃れていく伝統野菜にはそれなりの理由があります。うまく行ったとしても、日本全国で果たして幾つの伝統野菜が存続しえるでしょうか。日本伝統野菜推進協会というところのサイトでは、30の都道府県分のリストが挙げられていますが、合計すると700種類程でした。日本全国だと千種類くらいに留まると思います。広島ジーンバンクが集めた1万8千種はいうに及ばず、農研機構へ移管する6千種にも遥かに及びません。
個人で育てるというのもあるかも知れません。屋内で隔離された環境が必要ですが、種を更新するだけなら数株育てればよく、小さなスペースで充分です。毎年種を取る必要はないので、畑がなくても自宅で小さな冷蔵庫、植物育成ライトと根気さえあれば、一人でも十数種類かは担当出来ます。五百人いれば、6千種もあっというまです。ただ品種を守り続けているだけなので、極めて地道で報われない感のする仕事になるでしょうが。
最後に国産の野菜を買うというのもあります。最新のF1品種は伝統野菜から最も遠い所にあるように思われるかも知れませんが、どんなF1種子も元は種苗会社が管理する種から作られています。種苗会社が安定して利益を得ることで、その会社が保存している遺伝子資産も守られて行くのです。
生産者がその生産の源となる種子をコントロールできないことに対する不安を指摘する意見も反対意見の中にありました。
しかし、専門化こそが文明の礎です。専門化についていちいち例を挙げたりはしません。逆に文明社会において、そこそこ重要なことで専門化していないことを見つけることこそ難しいです。農業においても、種子生産、作物の栽培、収穫、収穫物の販売、栽培に関する資材や機械の製造を一貫して行っているのは自給自足で生きていかざるを得ない僻地の住人しかいません。全てを一人でやろうとすることは全ての分野で素人であることを意味します。趣味ならともかく、自給自足は物質的な貧困とほぼ同義なのです。
専門化で得られた知識と経験、専門化によって作られた上質で安価な資材なしには現在市販されている質の高い野菜を同程度の価格で提供するのは不可能です。私なども趣味で家庭菜園などをやっていますが、自給自足をやれと言われても、備蓄する食料が切れたところで飢え死にします。
農業に使う必須の資材や機械、その燃料などを外部に頼る状況で、今更、種子生産が農家の手元を離れたところで(というか離れている現状で)大した問題とも思えません。
広島ジーンバンクの廃止に伴って、ジーンバンクの方から表立った弁明があるとは思いません。当初に掲げた高邁な理想の敗北には違いなく、忸怩たる思いを抱えながらも殊更に論議を荒立てたくはないでしょうから。しかし、叶えられる筈のない理想をいくら掲げていても仕方はありません。冷蔵庫の中で放置されているだけの種にも申し訳がない。その意味で今回の広島ジーンバンクの廃止は現実的な選択であると思うのです。
一旦事業を開始すると面子や責任が問題となり、例え費用対効果が小さくても止めるに止められないものです。事業の創始に関わった人たちが恐らく全て引退し、老朽化した設備も更新を迫られている。広島ジーンバンクもようやく止められる時が来たというべきでしょう。