ドイツ語版「ハム太郎とっとこうた」は「全てハム太郎を中心に回っている」
ドイツに滞在して約一年と半年が過ぎるのに、いまだにドイツ語はまともに話すことができない程度の軟弱な人間であるが(なので以下に出てくる拙訳の拙さにはできれば目を瞑っていただきたいのだが)、とはいえドイツ語の勉強は面白い。
自分の関心は、ドイツ語という言語自体よりもむしろ、ドイツ語に翻訳された日本語コンテンツの、何の要素が残され何が改変されるのか、という部分にある。
例えば、自分が幼少期に見ていた子供向けアニメの主題歌の翻訳なんかを見ている。元々の歌詞が脳内に染み込んでいるので、学習しやすいだろうと思っていたが、これが直訳でないことが多い。
とりわけ面白かったのが「とっとこハム太郎」の初代OPテーマである「ハム太郎とっとこうた」のドイツ語版「Alles dreht sich um Hamtaro」である。
そもそも、この曲名の直訳が「すべてはハム太郎を中心に回っている」で、そこがもう日本語と決定的に違っている。ハム太郎が滑車を回すのではなく、世界がハム太郎を中心に回っているのである。欧州的な近代的自我・主体の存在感を感じずにはいられない。
このドイツ語版とっとこうた、日本語と同じく、3番構成からなる曲であるが、その歌詞の内容・論理構成は大きく異なっている。
日本版の「ハム太郎とっとこうた」はシンプルな話だ。ハム太郎はとっとこ走り(1番)、滑車を回り(2番)、そして眠る(3番)。情報量はたったこれだけだ。
対してドイツ語版のこの曲は、
1番:ハム太郎がやってきた、彼のようなやつは他にどこを探してもいない(=ハム太郎はこの物語の特別な主人公である)
2番:ハム太郎は一人ではない、彼の友達がそばにいて、全ての冒険を乗り越えていく(=ハム太郎の友人がサブキャラクターである)
3番:ハム太郎は雨の日も雪の日も止まることがない(=ハム太郎の冒険と挑戦がこの物語の主眼である)
日本版がハム太郎というキャラクターに対してあくまでイメージを与えるような、(むしろアニメ化当時はそこまでメジャーでもなかったハムスターという生き物一般について情報を与えるような)特性の描写に留まっているのに対して、ドイツ語はこの物語の主体は誰で、それは周囲とどのような関係性を持ち、そして何を成し遂げるのか、ということを明記する。パラグラフライティングのお手本のような論理的な説明である。多分ドイツ人は日本語版の歌詞見て「何も言ってねえじゃん!!!」って思うんだろうな。なんだよとっとこ眠るって。どうやって寝るんだよ。
「何か説明しているわけではない、むしろ明確な意味を成していないがイメージ感を与える歌詞」というのは日本の子供向けアニメ主題歌に散見されて、こうした歌詞は大抵ドイツ語では教育的なニュアンスを孕んだ「意味ある言葉」に置き換えられる。
他の例で言えば、ワンピース「ウィーアー!」のドイツ語訳「Auf dem Weg!」では、
「ポケットのコイン、それとYou wanna be my Friend?」
→「Wir werden niemals untergehen / Denn ich weiß, du bist mein Freund(我々は決して沈まない/なぜならば、あなたが友であることを知っているから)」
になっていて、「be my Friend?」の「?」の語りかけるようなニュアンスは、Dennで接続する論理的・説得的な「我々は友であるから!!!友達大事!!!!!」に置き換わっている。私はこの「ポケットのコイン」のちょっとした寄る方なさ、始まったばかりの冒険の期待、未来の行方の知れなさみたいなイメージが好きなのだが、当然全カット。
他にも、デジモンアドベンチャーズ「Butter-fly」(「Leb deinen Traum」)なんかは全面的に書き変わっていて、
「無限大な夢のあとの 何もない世の中じゃ/そうさ愛しい 想いも負けそうになるけど」
→「Leb deinen Traum, denn er wird wahr / Geh deinen Weg, stelle dich der Gefahr / Alles was wichtig ist, wirst du erkennen, wenn die Zeit gekommen ist(夢を生きろ、なぜならそれは現実になる/あなたの道を行け、危険に立ち向かえ/時が来たら、大事なこと全てわかるだろう)」
よく見直してみるとマジで日本語版の歌詞は雰囲気しかない。子供のファンタジーのアドベンチャーであるところの無限大な夢そのものではなくて、やがてやってくる現実を生きていく話をしているから、ドイツ的な教育的訳(友と冒険しよう!)にハマらない。逆に、「明日の予定もわからない」がほぼそのままの「Doch wir wissen nicht, was morgen sein wird」なのが一周回って面白い。
逆に、個人的にドイツ語版の歌詞が日本語よりいいなと思ったのは「DANZEN!ふたりはプリキュア」の訳詩「Nur wir beide」。Nur(only)がついているだけあって、全面的にバディ感が強調されている。原詞にはない「Nur wir beide, Ist das nicht wunderbar? Nie alleine, Du und ich!(私たちだけ、素晴らしくない?決して一人じゃなくて、あなたと私!)」とかいうフレーズが炸裂し、百合オタクが訳したのか?という疑念が湧き出る。
日本語詩が「プリティでキュアキュア」という謎の表現をかましているところが、「Jetzt sind wir hier, Mädchen wie wir - keine Gefahr - denn wir sind da!」と押韻を決めてるのも超かっこいい。
というわけで選曲に年齢丸出し感が否めないが、みんなも論理的で主体的なハム太郎、聞いてみてください。ハム太郎の「ろ」がドイツ語のRなのも響きが面白いです。
https://www.youtube.com/watch?v=Ju0DsL7qiI4
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