若不生者のちかひゆへ
おはようございます。
毎朝の晨朝勤行を楽しみに生活している私です(ここのところ毎日行ってる。病んでるのかな💦)。
本日の晨朝勤行は三九丁右「神力自在なることは」から。
「若不生者のちかひゆへ」ってどういうこと?
「若不生者 不取正覚」(若し生まれずは、正覚を取らじ)
「若し生まれさせることができなければ、命を捨てる」という意味みたい。
けど、、この「生まれる」って必ず拯(すく)うということ?
一切の衆生を拯うと願を立て、それが叶ったら阿弥陀如来になると宣言した菩薩様。
そして阿弥陀様が存在するという事実は逆説的に一切の衆生は必ず拯われていると考える浄土真宗(でいいよね?)。
そう解釈している私、、
「弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」
との一文にどれだけ拯われたことか。
本日の御講話
本日の御講話は「行住坐臥つねに念仏をもうすべし」との蓮如さんのお手紙の話でした。
そのあとの御文章でもはっきり行住坐臥と聞けたけど、うーん、、これで検索しても蓮如さんの話が出てこない(^◇^;)
それはよしとして、、
努力や悪事、罪さえも信心の障りにならないし、信心あれば阿弥陀様は絶対に見捨てない!だから田舎に帰れなくても、行住坐臥どんな時も常に阿弥陀様に感謝する気持ちを持とう。南無阿弥陀仏を唱えよう。
目の前のことに右往左往しちゃうもんだけど、あなたのことを必ず拯う。そう決めた阿弥陀様はいつも側にいるからね!
そんな話でした!
コロナ禍でしんどいニュースばかりですが、いつも阿弥陀様はそばにいる。どんなあなたであったとしても、あなたを絶対に見捨てない!
そんな母のような阿弥陀様(ん??阿弥陀様って男性女性?)の寄り添いに感謝しつつ本日を過ごしたいと思います!