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生きとし生けるものが幸せでありますように!

元旦会

築地本願寺さんの元旦会から今年は始まりました。

昨日子ども達と0時すぎてもワキャワキャやってたので、起きれるかな、って思ったけど、毎日の早起き、この習慣が私を助けてくれました。

で元旦の正信偈の節回し、大勢のお坊さんによる声明、迫力ありましたね。この節回し、元旦だけなのか、それとも他の大切な日にも行うのか、今度聞いてみなくちゃ!

御講話は築地本願寺のあの有名な宗務長、安永雄玄氏。

なんでも神経解剖学者で京大総長にもなられた浄土真宗門徒でもある平澤興先生の話をひきあいに、この多難な、用心して生きていかなければいけない時代でできること、しんどいけども人にはものすごい可能性があるから、できることをやり切って、あとはその可能性に賭ければ、最後には阿弥陀様が必ず拯ってくださる、と行った話をされました。

そういえば、、。拯ってくださるの「拯」という漢字、正信偈を読んで初めて知りました。なので多様しています。でも救うと拯う、意味の違いはあるのかな?今度調べてみま〜す!

往還回向

浄土に往生した人が、迷いのこの世間に対してはたらきかけることを「還相」というんだけど、あの世に行ったら行ったきりではないという浄土真宗のシステム素敵すぎだと思ってる。

「何悪い事をお浄土へ行けるんだったら、この穢土の世で悪さしっかりやっといて、このシステムを利用してお浄土へ行っちゃお!」みたいな考えを持つ人もいるかもしれない。だけど近しい人があの世から還って私の側で私を支えてくれると思ったら、ちゃんと生きていけると思う人の方が多いと思う。

だって、好きな人がいたら、守らなくてはいけない人がいたら、その人のために悪いことなんてできやしない。そのような人のために良い人でありたい、と思うのが人というものだと思うから。

家族のために、亡くなった近しい人のために、阿弥陀様のために「絶対よりよく皆のために生き抜いてやるぜ!」みたいな気持ち、それが持てそうだというの、生きていく上で本当にありがたい!

でもこの思想って日本独自なのかな?
あの世に行ったら行ったきりじゃないってこと、、。

晨朝勤行中にこれあれこれ考えてたら、将棋のことを思い出しちゃって、、

将棋って取った駒を使えるわけで、それって日本独自のものって聞いた事がある。確かに敵が寝返るわけがない、という思想だったら、そんな考え生まれないかも。でも行ったり来たりの将棋って、往還回向にもつながるかな、って思った次第。

ということで。

今年はこのブログも書き散らかします!そして浄土真宗の理解に努めます!

よろしく絡んでやってくださいませ。

ではでは、生きとし生けるものが幸せでありますように!

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