ナースを目指したきっかけ
私は20歳になりナースになることを決意した。
家庭の事情で17歳で家を飛び出し
朝からパチンコ店に並びスロットを閉店時間まで打つ。お金がなくなれば日雇いのスナックやキャバクラで働き、住む家も友人や彼氏の家を転々としていた。
当時通っていた高校は総合学科で専門分野を自分で選択して単位を取得するという学校だったため、卒業できる単位数と出席日数を稼ぎにたまに通ったりしていた。しばらくぶりに行くと文化祭だったなんて日もあったが、たまに現れる私の存在を周りは奇異な目でよく見ていた。
当然学校に友人など出来るはずもなく、毎晩行く当てのない連中でたむろしていた。
類は友を呼ぶの言葉通りに、生きる目的もなく、ただただ孤独と怒りを抱えた者が集まり、喧嘩や暴走、飲酒、喫煙など自分を悪者だと偽り粋がって暮らしていた。
「舐められたら終わりだ。」当初の私は毎日こんな風に思いながら過ごしていた。
怒りを抑える事ができず、アルバイト先の同年代の子や店長を呼び出し喧嘩をしたり、舐められないためにタトゥーもいれた。
今思えばなんでこんなに怒りに満ちていたのか、一生分の怒りを青春に費やした気がする。
この怒り狂っていた原因は孤独感からだ。
愛されたい欲求と愛されない悲しみ。自分と人を愛す事ができない自分は人に優しくする事ができない。だから誰も優しくしてなどくれない。信用なんてもっとしてくれない‥
何となく、分かっていた。
だから、信用されるために変わりたいって何度も思った。
高校卒業して数ヶ月か経ったある日、
「この地から離れよう。」そう思った。
今の仲間と連んでいたら、いつまで経っても私は変われない。
気が変わらないうちに大阪へ行きマンションを借りる契約をし、その翌週からそこで暮らした。
しかし、短気な性格がすぐに変わるわけもない。
見つけた歯科助手の仕事も一年は続かず、地元へと帰ってきてしまった。
また仲間の元へ戻りくだらない日々を過ごしていたある日、音信不通の母親からしつこく電話があり用件を聞いてみると、「成人式はどうするのか」だった。
しょうもない用件でかけてくるなと怒号を浴びせたが、成人式のために何年も前に大金を叩いて契約してあるとのことだったため、仕方なくその要件を飲んだ。しかし、会いたくないのと面倒くさいのもあり着物を選びに行くことはしなかった。
親も諦めかけ成人式のぎりぎりになって、地元の仲間が行くというので急いで選びに行ったが残っていた着物はたった10着にも満たない数でその中から適当に選んだ。
成人式当日は、数年ぶりの早起きをして髪を整え着物を着て、痩せ細った体には「馬子にも衣装」がお世辞になるくらい、着物が歩いているようで不格好であった。
会場に着くと懐かしい顔ぶれが揃っており、思い出話しに花を咲かせた。
その話し方やジェスチャーで変わらぬ皆の姿を見て安堵した。しかし、昔散々ヤンチャしていた連中が一人も漏れることなく職についていた事実を知ると愕然とし一瞬時が止まった。
定職につかず、その日暮しでプラプラしているのは私だけだったのだ‥
この衝撃は私を180度方向転換させた。
昔から看護師である母に看護師なれと言われ続け、ダメ元で学校の試験を受けてみようと決意したのだ。
成人式後に決意し、その翌月には願書を提出し准看護師学校の試験へと挑んだ。
これからは学費もかかる。住処もなかったため、親の信頼を回復するべく髪を黒く染め、実家に置いてもらえるよう頭を下げに行った。
父親からは「うちの敷居を二度と跨ぐな」と言われたが、謝り続け家賃や食費を払う代わりに置いてもらえることになった。
ここから一年以上は目も合わせてもくれはしなかった。
肩身の狭い暮らしの中でストレスは溜まっていったがまたあの日常に戻ることはなくアルバイトに精を出した。
いよいよ、合格発表の日、意を決して掲示板を見に行くも番号はなかった。
チャレンジは一回のみと決めていたので、別の道を行くと母親に言うと「そんなはずはない」と掲示板を再度見に行ってくれた。
何度見ても同じだろうに‥と思っていると母親が掲示板の前で何やら騒いでいる。
番号があったのだ。合格していた。
番号も見つけられないのかよ、と自分自身に苦笑し第一関門は突破したのだと胸を撫で下ろした。