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2022TJAR心境の変化②
人生の第1章
これまでの自分の人生を振り返ると、自分の人生は2章に分けられます。
第1章は、「計画的・保守的に生きてきた人生」
第2章は、「変化を求め、挑戦する人生」
2011年震災までは、自分の才能の限界を知り、保守的に、計画的に無難に生きること。小中学生も特に大きな挑戦はせず、自分のできる範囲内で生きてきました。いい高校・大学に入り、いい会社に入ること。決して大きな夢をもたず無難にいきること。そんな生き方でした。
きっかけは、東日本大震災。
電力会社に勤める私は、違う部門ではありましたが、大きな影響を受けました。給与も数百万円の減給。心身ともに疲れる毎日。社会からの厳しい視線。保守的・計画的に生きてきた自分の価値観がすべて崩れ去りました。
必死に過ごした2011年でしたが、仕事の記憶はほぼありません。
ここまでが、人生の第1章。
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人生の第2章、ゴールはTJAR
ストレスで体調を崩しがちだった私に、妻がボクシングジムへの入会を勧めてくれました。(なぜ勧めたのがボクシングだったのか、妻もいまだに不思議とのこと)
心身ともに崩れていた自分を、顔が怖い、心が優しいトレーナーが迎えてくれました。4年間通い、アマチュアボクシング大会でも勝利。
そこから挑戦の人生に変わりました。挑戦は楽しい。そして、2011.9に生まれた娘が、人生に光を灯してくれました。
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ボクシングの減量をきっかけに走りはじめ、走ることが楽しくなり、そのとき同時に山仲間との出会いがあり、トレイルランを意識し始めました。
幼少に登っていた、日本アルプスの山々の景色、父が挑戦していたハセツネの存在。挑戦の気持ちが山に向いていった瞬間。
そして、そこからはトレイルランニングを始め、自分の限界は、自分で決めていることを知りました。5kmしか走れなかった自分が70km,100km,100mileを走れるなんて思ってもみませんでした。
震災で、計画的・保守的な人生はないと知りました。
挑戦は楽しいことを知りました。
大きな目標をもつことで、人は強くなれることを知りました。
限界はない、自分が勝手に作っていることと知りました。
その過程で、とてつもなく壮大な、いつか挑戦してみたいTJARを知りました。
ゴールで感じたこと
スタートする前から、人生の第2章フィナーレはTJARだと思っていました。
この未知なるレースをゴールすることで、きっと自分のなかで何かが変わるはず。ゴールした自分に出会うのが楽しみでした。
そして、迎えたTJARのゴール。
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自分のなかでゴールと思っていたTJARは人生の通過点ということを知りました。
6年間目指してきたゴール(TJAR完走)を達成できました。終わってみると、それは最終ゴールではなく、一つの通過点、区切りでもありました。
その気持ちも、このレースで得た大きな収穫です。
今後も続く人生、これからも、いろいろなこと・自分の限界に挑戦していきたいと思います。これからも新しい世界をみたい。
そして、今回いただいた皆さんからの優しさを胸に、皆さんの夢・人生も全力で応援したいと思います。
多くの感動を与えてくれたTJAR、スタッフ・関係者の皆さま、見守ってくれた家族・山仲間・友人、応援していただいた皆さまへ改めて御礼申し上げます。
2022年の夏は一生忘れない思い出となりました。
そこからTJAR報告会・TV放映なども経た今、
やはり人生の第2章のフィナーレはTJARのゴールだったと確信しています。
人生の第3章のテーマはどうするか。
次回、書きたいと思います。