白猫カリノ

研究者脱退/小中高・縦断教員/文筆業/読み聞かせ活動中。

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最近の記事

「意欲」と「効率の悪いこと」はセットになっているようだ。「お金」と「時間」のコスパを追求するとつまらなくなる。それどころか、スカスカになる。なぜなら、お金と時間に彩りを与えるのは意欲だからだ。豊かになっていく時代は良いバカがいっぱいだった。私は、我が子を小利口にしたくない。

    • 店という店、サービスというサービスが「アプリ入れろ」と言うけど、他人主導の情報はほとんど欲しくない。あまりに情報過多だとうっすら不幸な感覚になる。手触りや風の音、空の色を見て家族の穏やかな顔を見ていたいんだ。

      • 子ども時代、私が落ち込んでいたとき、母が何もできずに一日中一緒にうろうろしていたことがあった。その思い出が繰り返し思い出され、実は「格好いい母がズバッと正解を出してくれた」記憶はいらなかったのだと悟った。一緒にうろうろしてくれたことに体裁も飾りもなかった。生徒もそれを喜んだっけ。

        • 「宿題やってこないとろくな大人にならない」なんて言ってる教員は、自分がそう言われてきた子ども時代のマインドで成長を止めている。「大学を卒業したら勉強しなくていい」を体現しているのだろうか。大人の課題はまず宿題をやらない現象の背景を見つめることだ。仕事の学びは教わることができない。

        • 「意欲」と「効率の悪いこと」はセットになっているようだ。「お金」と「時間」のコスパを追求するとつまらなくなる。それどころか、スカスカになる。なぜなら、お金と時間に彩りを与えるのは意欲だからだ。豊かになっていく時代は良いバカがいっぱいだった。私は、我が子を小利口にしたくない。

        • 店という店、サービスというサービスが「アプリ入れろ」と言うけど、他人主導の情報はほとんど欲しくない。あまりに情報過多だとうっすら不幸な感覚になる。手触りや風の音、空の色を見て家族の穏やかな顔を見ていたいんだ。

        • 子ども時代、私が落ち込んでいたとき、母が何もできずに一日中一緒にうろうろしていたことがあった。その思い出が繰り返し思い出され、実は「格好いい母がズバッと正解を出してくれた」記憶はいらなかったのだと悟った。一緒にうろうろしてくれたことに体裁も飾りもなかった。生徒もそれを喜んだっけ。

        • 「宿題やってこないとろくな大人にならない」なんて言ってる教員は、自分がそう言われてきた子ども時代のマインドで成長を止めている。「大学を卒業したら勉強しなくていい」を体現しているのだろうか。大人の課題はまず宿題をやらない現象の背景を見つめることだ。仕事の学びは教わることができない。

          すき間の時間をすべてお金に換える仕事はしたくない。「すき間」と呼ぶのに抵抗がある。そこに人生の旨味がある。少なくとも、私はそう感じるタイプの人間。「すき間」はみっしりなのである。(経営者か給与所得者か、の差ではない。経営者してても、すき間時間が全部お金になったりしないし。)

          すき間の時間をすべてお金に換える仕事はしたくない。「すき間」と呼ぶのに抵抗がある。そこに人生の旨味がある。少なくとも、私はそう感じるタイプの人間。「すき間」はみっしりなのである。(経営者か給与所得者か、の差ではない。経営者してても、すき間時間が全部お金になったりしないし。)

          教えることは忍耐。また、教わることは、価値を感じ欲がなければ成立しない。生まれつき潤沢にお金・物品に囲まれても、価値を感じ欲がなければ使いこなせず、保持できない。塾講師や教師の話が、当人にとって何のパワーもない装飾品であるなら、投資しても無駄である。

          教えることは忍耐。また、教わることは、価値を感じ欲がなければ成立しない。生まれつき潤沢にお金・物品に囲まれても、価値を感じ欲がなければ使いこなせず、保持できない。塾講師や教師の話が、当人にとって何のパワーもない装飾品であるなら、投資しても無駄である。

          先生というより、話を聞いてくれる大人(人)でありたい。同じものを前にして、気持ちを分かち合う大人(人)でありたい。それだけで、子ども(若い人)は人の目を見て話をするようになる。

          先生というより、話を聞いてくれる大人(人)でありたい。同じものを前にして、気持ちを分かち合う大人(人)でありたい。それだけで、子ども(若い人)は人の目を見て話をするようになる。

          成果として学力が伸びるかどうかではない、「向学心」を育てねばならない。自分の意志と希望に向かって舵を取る力だ。低学力の子らに学力向上の取り組みは無意味ではない。楽しくても点が取れなければ、真実を知っている彼らは学びに向かわない。「学びに向かう力」は点が取れてこそなのだ。

          成果として学力が伸びるかどうかではない、「向学心」を育てねばならない。自分の意志と希望に向かって舵を取る力だ。低学力の子らに学力向上の取り組みは無意味ではない。楽しくても点が取れなければ、真実を知っている彼らは学びに向かわない。「学びに向かう力」は点が取れてこそなのだ。

          児童文学は失われたのか

          子どもに『はてしない物語』を読み始めた。 主人公のバスチアン・バルタザール・ブックス10才は日々の現実がつらい。空想好きの彼を、学校の同級生は頭がおかしいと言っていじめる。学校の先生は上機嫌のあとに八つ当たりをしたりするので信用ならない。母は死んだ。父は歯科技工士で、母の死後これまで以上に仕事ばかりで彼の様子に気が付かないようだ。 バスチアンは、ふとしたことから古い本を一冊盗んでしまった。もう家に帰ることはできない。彼は学校の物置に忍び込み、本を開いてその世界に溶け込んで

          児童文学は失われたのか

          大抵の人にとって、ペルソナは着脱式ではないはずなんですよね。複数のペルソナにそれぞれ根があって、無意識下で絡み合っているんです。言語化は、とりもなおさずペルソナ生成(あるいは維持)の瞬間。私の正体とやらは、子どもと無言でくっつきあっている時に漏れ出ているかどうかってところ。

          大抵の人にとって、ペルソナは着脱式ではないはずなんですよね。複数のペルソナにそれぞれ根があって、無意識下で絡み合っているんです。言語化は、とりもなおさずペルソナ生成(あるいは維持)の瞬間。私の正体とやらは、子どもと無言でくっつきあっている時に漏れ出ているかどうかってところ。

          受容できないことは、常識になりようがない。あらゆる相手を自らに招き入れてしまうと、自分なんか消えてしまう。謎めいた宇宙空間みたいなこの場所に、いろいろな星・いろいろな灯りがともっていると思えば、よく知らない人が暮らす窓辺にも温もりがあるんだろう……という気持ちになれる。

          受容できないことは、常識になりようがない。あらゆる相手を自らに招き入れてしまうと、自分なんか消えてしまう。謎めいた宇宙空間みたいなこの場所に、いろいろな星・いろいろな灯りがともっていると思えば、よく知らない人が暮らす窓辺にも温もりがあるんだろう……という気持ちになれる。

          大事なことは、日々の小さなトゲトゲじゃなくて、風のない春の海の波のようなうねり。波長が長くて、ゆったりとしたうねり。1分2分じゃない。今週中でもない……。寄せては返す、波のような。あたたかくゆるやかな。必ず聞こえている、人の暮らしの、低音のようなぬくもり。

          大事なことは、日々の小さなトゲトゲじゃなくて、風のない春の海の波のようなうねり。波長が長くて、ゆったりとしたうねり。1分2分じゃない。今週中でもない……。寄せては返す、波のような。あたたかくゆるやかな。必ず聞こえている、人の暮らしの、低音のようなぬくもり。

          理科の学習は「理由はどうだろうと、それはそうなっている」という観察から始まる。モノゴトに対するそういう接し方は、私にはとても優しい世界に感じられる。例えば、ある子が目の前にいたとして「なぜこんな振舞いをするのか?」よりも、まず「この子はこういう子だ」という受容から始まるように。

          理科の学習は「理由はどうだろうと、それはそうなっている」という観察から始まる。モノゴトに対するそういう接し方は、私にはとても優しい世界に感じられる。例えば、ある子が目の前にいたとして「なぜこんな振舞いをするのか?」よりも、まず「この子はこういう子だ」という受容から始まるように。

          なんにもしてやれないな……と思うことがある。いろんな子が、自分の生い立ちや暮らしを携えているとき。一人の人の尊厳の姿。せめて彼らが学校に来たときに、柔らかく「おはよう」って顔を見て言えるような自分だけは保っておきたい。それすら難しい時があるにしても。その子を見て、挨拶したいんだ。

          なんにもしてやれないな……と思うことがある。いろんな子が、自分の生い立ちや暮らしを携えているとき。一人の人の尊厳の姿。せめて彼らが学校に来たときに、柔らかく「おはよう」って顔を見て言えるような自分だけは保っておきたい。それすら難しい時があるにしても。その子を見て、挨拶したいんだ。

          感情は時として滝のようだし、思考は時としてもつれた糸のようだ。どちらもそういった性質があるだけ。悪いとも思えない。状況を切り拓く強さにいつでもなるわけでもない。滝と、もつれた糸とを手にしながら、少しは自分らしく歩いてみたいものだ。善でも悪でもなく、強くも弱くもなく。

          感情は時として滝のようだし、思考は時としてもつれた糸のようだ。どちらもそういった性質があるだけ。悪いとも思えない。状況を切り拓く強さにいつでもなるわけでもない。滝と、もつれた糸とを手にしながら、少しは自分らしく歩いてみたいものだ。善でも悪でもなく、強くも弱くもなく。