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2023年を振り返る ~死~
今年の一文字は「税」ということで、こういう話題になるとふざけて「死」とか言う人がいるが、私の今年の一文字は本当に「死」だった。ネタとかではなくマジで真っ先にその文字が頭に浮かんだ。
まず祖父の死。曇り空が続く夏の出来事だった。
母からみた......義理の父にあたる。つまり祖父と私は血が繋がっていない。だからなのか、本人の希望で葬式は行わなかった。(私の)母に迷惑を掛けたくないので、火葬だけで終わらせるというのを祖母と前々から決めていたらしい。母はかろうじて眠る姿を見ることが出来たのだが、それでも火葬は祖母一人で行ったそうだ。孫の私としてはせめて最後に顔だけでも見たかったのだが、祖母が「(母に)迷惑を掛けたくないから」の一点張りで、拒まれてしまった。
人は死んだら色んな親族に見送られて骨になるものが当たり前だと思っていたので、本人の意向とはいえ、妻たった一人に見送られて終える人生は端からみるとなんとも寂しいものがある。実父ではない故に迷惑をかけたくないという気持ちもよく分かるのだが、見送ることを拒まれてしまったのは結構ショックだった。血が繋がっていなくても自分にとっては祖父であることには変わりない(物心ついた時からいたので尚更....)と本当に思っているのに、祖父はそうは思っていなかったのかなとか思うとなかなか悲しいものがある。お金的な面(葬式)で母に負担を掛けさせたくなかっただけとかなら良いのだが.....。
私は結婚して1年になるが、今回の出来事で「結婚しても結局最後は一人なのか.....」と気付かされた。長年他人と過ごしていた分、むしろ独身で老後を迎えるよりももっと辛い孤独が待っているのかもしれない。夫は年上で、先に逝かれることがほぼ確定なので自分の将来がより怖くなった。「左利きは右利きよりも寿命が短い」という説を信じて(???)、夫が死んだ2、3年後に自分も死ぬだろうと信じて生きてるけどどうかな~?
次に同じ会社の人の死。晴れやかな天候が続く秋の出来事だった。
部署が違うためあまり関わりはなかったのだが、つい数ヶ月前まで普通に出勤をしていた人だったので、病死したと聞いた時は衝撃的だった。ただ、夏でもいつもニット帽を被っていたので、「そういうことだったのか....」と漸く気付かされた。私は中途採用で最近入社したので全く知らされていなかったのだが、元々数年前に病気が発覚して、ずっと闘病しながら働いていたことは、長年勤めてる社員の間では周知のことだったそうだ。
亡くなった後、その人の同僚の人が生前の写真をたくさん見せてくれたのだが、そのなかに、つい最近撮ったであろう後ろ姿の写真があった。撮った人は、だんだん痩せ細っていく彼の姿をどんな気持ちで写真に収めていたのだろうと思うと胸が苦しくなった.....が、病気自体知らなかった私がそう受け取るのはどこか偽善的だ。
それにしても、その人の生前の写真はどれも笑顔で、殆どの写真が誰かに囲われていているという構図で、その人も周りにいる人もみんな笑顔だった。自分は日頃こんなに周りの人を笑顔に出来ているとはとても思えない。自分はこんな人生歩めないだろう、良い人は亡くなるのが早いというのは本当なんだろうと思う。
というかうちの会社は残りの人生を楽しめるよう、退職してもやっていけるくらいの給料と退職金出せよなマジで。(家族のために少しでもお金を残したくて働いていたのかもしれないけど.....。)
そして推しの死。
高校時代に大好きだったバンドマンが11月に亡くなった。(私の自分語りで誰かの思い出が安くなってしまうのが嫌なので、今回は名前を控えさせてもらう.....けど、もう少し静かになったら名前を出して書きたい)それを知ったのは、例年より暖かい、だけどその雨で一気に冬に変わった日のことだった。
今年の春に癌が公表された時からある程度は覚悟していたが、それでも訃報を知ったときは手が震えてしまった。「オタクには普段騒ぎこそはしないが、殿堂入りとして心の一番大事なところで拝めている推しがいる」みたいな言葉があるが、私にとってまさに彼はそんな存在だった。高校時代は朝から晩まで狂ったように彼の歌声を聴いて過ごしていたものだから、今の自分の土台的な存在になっていると本気で思っている。だから、現在進行形で未だかつてない喪失感に苛まれている。
ギターをかき鳴らしながら歌う彼の姿には、多感な時期特有のどうしようもない焦燥感や、どこにも行けないし何にもなれない空しさを吹っ飛ばしてくれるような力があった。それまで「みんなと同じような動きが出来るように」と他人の目を気にしながら生きていたが、彼の破天荒なエピソードやパフォーマンスを知るたびに、「そんなの気にせず生きたらいいんだ」と勇気づけらていたのだろうと思う。(当時はただ格好いいから見ていただけなのだが......。)高校時代に出会うロックスターなんて誰にとってもそんな存在なんだろうけど。
先日、以前制作されたバンド映画(ライブ映像)の追悼上映を観に行った。「もう彼の新しい曲や、ライブで歌っている姿を見られないのか」と考えると辛い日々だったので、映画なんか観たらいよいよ泣くぞと思っていたけど、あまりにかっこよすぎて涙がひっこんでしまった。10年以上経っても変わらず憧れられる人に出会えて良かった。喪失感はまだ暫く続くだろうけど、彼(彼ら)の曲と過ごした日々を糧にしながら今後も生きていきたいと思う。
ということで、今年は死に触れる機会が多かった。
今年は映画「君たちはどういきるか」が話題になり、その作品は高畑勲氏の死に直面した宮崎駿氏が生み出した作品だったと知り(※プロフェッショナルを見て感じた個人の感想)、「死に触れるとそのフレーズが浮かんでくるよね~分かる~」となった(おこがましすぎる)。
自分の人生は、正直ここ数年何もしていない感がある。いや、転職したり結婚したり仕事でいろんなことをしたりと、何かはやっているはずだけど、成し遂げた感が無い。だからこう、何かこうやり遂げた感のあることをしたい。
じゃあそれって何、って聞かれても答えられないのが現状なのでとりあえず作文を続けていくしかない。今年は去年に比べると文を書く頻度を増やすことが出来たと思うが、まだまだ足りない。というか秋からサボりすぎた。ので、来年はもっと頻度を上げることを意識していきたい。
義祖父の死は喪中に入るのだろうかと思っていましたが、母親が喪中のはがきを出していたので、静かに正月を迎えようと思います。皆様、良いお年をお迎えくださいませ。来年もよろしくお願いいたします。