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「良い子」=「素直」ではないという現実

子育てをしているとこんなフレーズをよく口にしてしまいます。
「良い子だね」
当然のごとく褒められたら子どもは喜びます。でも、ふと気づく。
自分の思い通りになった時にこのフレーズをつかっているなと。妻も自分も悪気があるわけではないですが、なかなか言うことを聞かないのが日常になると、言うことを聞いてくれた時はついつい褒めてしまいたくもなります。
このことに対する良し悪しは教育の専門家ではないので割愛させていただきますが、大半の日本人は家庭や義務教育を通して、「良い子」であることを求められて成長していっていると思います。

師匠はいつも成功の3条件の一つ目として、「素直」であることを挙げています。

「素直であれば自分はできている」とまず思うわけですが、師匠はこうも付け加えて言います。

「素直とは数字に対して素直であることを言う」のだと。
自分は決めつけることが好きでないし、決めつけられることはもっと嫌いだったので、色々な人の意見に耳を傾けてきたし、それも取り入れてきた。そんな自分は紛れもなく「素直」さの塊であると思っていました。

師匠はこう続けます。
「数字に対して素直というのはどういうことかと言うと、自分が欲しいと思っている結果を手にした人と全く同じ行動をとること」
つまりどういうことかと言うと、自分が嫌だな、やりたくないなと思うことであっても、自分が欲しいと思っている結果を持っている人が、その結果を手にするために必要だと言うことであれば、自分の嫌だなと思う感情を置いておいてやらなければならないと言うことなのです。

僕は自分のことを振り返って思います。
「あぁ、全く素直じゃなかった」なと。
多くの人にも共通することだと思うので、自分の素直さに対しての勘違いをまとめます。

①誰の意見を聴くのかが定まっていない

当時の自分は欲しいと思う結果がふわふわしていて定まっていませんでした。あれも欲しいこれも欲しいと言う状態。だからステータスが自分より上だと感じる人の意見は誰でも聞いていた。このステータスが上という考えも、何をもって上と判断しているのかもあいまいだし、そもそも上とか下という価値基準で物事を考えてしまっていたため、「自分が欲しい結果をもっている人」という発想が抜けてしまっていました。

②自分の都合の良い意見だけ取り入れていた

いただく意見やアドバイスに関してもいいとこどりだけしていて、やりたくないなと思うことは色々な理由をつけてやってこなかった。
1個や2個くらい同じようにやれなくてもしょうがないし、「そこまではやれない」と思ったし、取り入れられない意見のほとんどが周りに対しての目を気にして取り入れられないというケースが多かったと思う。
「突然そんなことをしだしたら、何かに影響されて踊らされている浅はかなやつと思われる」
と思っていました。
全く素直ではないですね。

③結局行動に移していない

②とも似ているとは思いますが、様々ないいわけをつけて行動しなかった。結論、この③につきるのかなと思うし、大半の方が結局行動せず、変化の小さい方を選択している。

結局、その結果を本気で渇望していないのかもしれません。師匠のいう素直さとは、欲しいと思っている結果を得るために素直に行動に移せるかということ。これは逆を言うと、欲している結果を得るために今自分の持っているものを手放せるかどうかなのかなのです。
自分もそうですが、荷物を持ち過ぎている、それに囚われて行動がきっと制限されている。われわれはそのことに気づくことから始めなければいけません。

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