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何かを貸すというリスクについて

つい先日Twitter上で、スタイリストさんに向け衣装を貸すというツイートを見かけそれに触発されるように思い出した出来事があったので感情の整理と共に、このことを改めて自分への戒として書き留めたいと思う。

前回noteで「セーラー服という言葉の引力」の記事冒頭に、セーラー服(ここでいうセーラー服は着衣のみを指す)〜枚ありますと書いたのですが、そのセーラー服に纏わる悲しい出来事がありました。

もうかなり前のことになります。撮影で親しくさせていただいていたモデルさんが映像作品を作るということで作品の監督をすることになったと言う話を聞き、その流れで謝礼を出すから冬服のセーラー服を2着貸してほしいとお願いされた。
その時私は、見ず知らずのSNSで通りがかっただけの人ならすぐさまNOと答えただろうところを、今後も親しく出来たら良いなとおもったばかりにYESを出してしまった。
ちなみにそのモデルさんとはその時が初めましてだった。

YESの答えを出してから、その映像作品の演者を含んだスタッフグループラインに衣装担当として入り、主に皆様の行動を見守るというお役目を頂いた。
(アシスタントの話もあったが、予定の都合が合わず本当にLINE上のやり取りを見守るだけだった。)

無事に作品が完成し、YouTube上で公開に踏み切ることが出来、小さいながらも劇場でお披露目もし、やりきったぞという達成感に満ち満ちた皆様を見守ると同時に、なかなか連絡のこないセーラー服の返却と撮影の迫ったスケジュールを見ながら待っていた。

もちろんただ待つのではなく、返却がいつ頃になるのかという連絡を入れたがいくら待てども返事が来ず、その間もしやこのセーラー服達は私の元に戻ってこないのではないかという不安に苛まれていた。
焦れた私は、彼女のSNSアカウントまで行きDMをした。その間どれぐらい時間があったかもう思い出せないが、やっと返事を貰った時は安堵というよりも、得体の知れないものを見るような感情になったことを今でも覚えている。
なぜならその時の一文にLINEの不具合で連絡が来ていなかったとあったからだ。
不信感が湧き出た。何故連絡を待つだけで自発的に連絡をしてくれなかったのか意味がわからなかった。
もしかしたら、まだ他に使いたい場所があったのかもしれないがそれならそうと事前に説明をするのが筋なのではないかとも考えたが、言われた訳では無いのでその考えはすぐに捨てた。
私のマメな性格もあるのかもしれない、だがしかし人から借りたものを返却するのに自分から声をかけないなどということがあるのだろうか。
思うことは沢山あったがそれをぶつけても仕方がないと一旦しまいこんだ。
それをぶつけるだけの気力も体力も信頼ももう彼女には持てなかった。ただ早くセーラー服を返してもらい安心したかった。それぐらい私にとってセーラー服は大事な衣装でありアイデンティティだった。

もともとセーラー服を貸すことに前向き思考ではなかった、汚されたら嫌だし帰ってこなかったらもっと嫌だし基本的には誰のこともあまり信用していない。だけど、1度会ったきりの歳若い彼女の眼差し、映像作品の監督をするその眩しい後ろ姿を見て後推しをしたいと思った。信じたいと思ったことが驕りで間違いだったのかもしれないとさえ考えてしまう自分に悲しくなった。

それから約1週間後、直接の受け渡しでセーラー服を返してもらうことができた。
だけど、最初に提示された謝礼は一切入っていなかった。忘れてしまったのか、セーラー服返却の催促で気を悪くしてしまったのかはついぞ分からないまま縁は切れた。


この件があってから私はさらに自分の大事な物(服、物、お金、その他各自大事に思うもの)は人に貸してはいけないということを深く胸に刻み、特にセーラー服は撮影モデルさんを覗き、カメラマンやその他クリエイターは撮影に同伴しない限り貸すことは無いと思います。
もちろん、人に貸すことを否定するわけでは全くなく、貸す側本人が快く思っているのであれば成立する関係ではあると思っています。
ただ、見ず知らずの他人に物を貸すというリスクを1度は考えて見てほしいと思いここに記させていただきます。

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