イメージの中のニッポンとムラカミ
この夏観たい映画があまりないな、と思っていた。
村上春樹原作のアニメ映画があると聞いても、あまり乗り気ではなかった。絵柄が趣味じゃない気がするのと、短編を繋げた夢の世界みたいなアニメ、ちょっと苦手なんだよな、と思ってしまう。パプリカとか。苦手なんだよな。
しかし評判がいいのを見かけてやはりちょっと気になる。何事もいつも疑いから入っている。
外国人の監督が、村上春樹の6つの短編から作ったという『めくらやなぎと眠る女』。
キャラクターの造形や絵柄はまさに外国のアニメ。日本のアニメーションのような可愛らしさや見やすさはなく、あくまで芸術作品だ。
笑えたのは、震災後の日本が舞台と言っていながら、驚くほど日本に似せようとしない架空の世界のような風景。全てにおいて、こんなとこないだろ、とつっこみたくなる。普段見ているアニメやドラマでは、きちんと取材に基づいて描かれた、あるある的な風景に慣れているんだなと気付く。
ここで描かれているのはまさに、イメージの中のニッポンだ。村上作品が喚起するイメージの世界が、国や土地を超えてたゆたっている。
「UFOが釧路に降りる」の主人公であった小村が、「めくらやなぎと眠る女」、そしてねじまき鳥クロニクルのプロローグとなったエピソードを繋いで登場する。小村はたぶんイケメンなのだけど、絵柄が外国人が描いた村上春樹の似顔絵といったイメージが拭えず、ずっと奇妙な間抜けさが漂う。
一方でとにかく好感がもてるのが、「かえるくん、東京を救う」の片桐さんとかえるくんである。片桐さんの情けない喋り方と、かえるくんの一本調子の演説口調、二人の間の信頼感は忘れられない。信用金庫の地下でみみずくんと戦うとは、すずめの戸締まりの着想にもなったエピソードである。しかしこの物語には戦いのシーンは出てこない。戦いは想像力の中で行われたのだと言い、想像力の世界で戦いきったかえるくんは闇に堕ち消えてしまう。不思議な話だが、それこそが現実であるような気がしてくる。
村上作品は、短編で描かれたシーンがそのまま長編で使われたりすることもあり、同じ人物がいろいろな場所に出てくるような気もして、入り組んだ夢の世界のようだ。
その世界観とイメージを、外国語で読んでいても同じように感じているのだなと思い、とても面白い。
この夏は『ダンス・ダンス・ダンス』を再読した。一番と言えるほど好きな作品と思っていたが、数年ぶりに読んだら案の定ごっそり忘れていて、おかげで完全に没入して楽しんでいた。
後半重要な事実に直面する場面で、主人公と同じ勢いで驚いてしまい、そのことに自分でびっくりした。そこから最後まで駆け抜けるように読み、最高の気分になる。
物語の世界に耽溺することは、私にとってこの世で一番の喜びの一つだと思う。いつもそう思わせてくれるのは村上作品だ。