明治文化の亡霊
学生の頃、エレカシが大好きだった。
最近はめっきり追いかけていないけど、ふと昔の楽曲を歌っているライブ映像を夫が見せてくれた。
近年はポップで美しい曲をたくさん出して、今も活躍しているけど、若い頃はとにかく渋くて独特の楽曲も多く、私もよく聴いていた。
ライブ映像では、23歳のときに、団地の部屋で火鉢を焚いて親に心配をかけていたという話をして、すごく長い退廃人の独白のような曲を朗々と歌う。
懐かしくなって、家にあったEMI時代の自選作品集というアルバムを聴いた。
明治文化が大好きな宮本さんに憧れて、私も上野を彷徨ったりした時期があったが、正直難しくてその魅力はあまり理解できなかった。「歴史」や「遁世」などに出てくる独特の歌詞も、面白くて大好きだけど、当時は半分ふざけているのかなと半信半疑だった。
今聴くと、所々に出てくる独特な言葉遣いも、これが彼の語彙で、正直な感じ方を歌った彼の詩なのだなと思った。情けないような笑えるような歌詞も、格好つけないありのままの彼の生活の実感だったのだと。
大学生の頃、一人試験勉強を終えて自転車で帰る夜道で、YouTubeからダウンロードしたエレカシの曲を聴いていた。
後から思うと、あの時の私は一人で、無理をしていて、苦しくて、それでも前を向く必要があったから、一生懸命宮本さんの曲を聴いていたような気がする。そのくらい、どの曲もやたら力んでいて、赤裸々で、孤独だ。
自分の出番は望まれていないという気持ち。
誰にも理解されない明治文化の亡霊。
一人夜中に火鉢を焚く男。
虚しくて変人で東京からほとんど出ない人。
今テレビに出てくる宮本さんを見ても誰にでも分かる、この人は不器用で、一人相撲で、生きづらい人で、たぶんすごくいい人だ。
あの頃の私にとっても、自分だけなんか違う感、望まれていない、浮かんでいる感は当たり前の感覚で、だからエレカシの曲は、宮本さんの姿は私にとっての支えだった。
そして今になって見ると、その気持ちをこの人が素直に歌ってきたこと、この姿のまま生きてきたことが、どれほどすごいことか昔より分かる気がする。
あの頃の私を励ましてくれてありがとう。私もそのように生きたいな。