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生きるかなしみ
また虎に翼の話から。
今週のラスト、原爆裁判の判決が読み上げられるシーンは圧巻だった。汐見の心の通った一言一句を息を詰めて聞いていた。これが本物の判決文だと言うのだ。
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法的に原告側を救う手段がなくても、何かできることがないだろうかと悩んでいた寅子。いつものようにダイニングテーブルに書類を広げて思い悩んでいるところに、よれよれになった百合が現れる。倒れ込み、真剣な形相でバナナを貪り始める。
そこで寅子が掛けた言葉は一見場面から外れているように思えるが、弱さを晒して生きている今の百合に対して、女性としてのありのままの苦しみを吐露した気持ちはよく分かる。
あなたが謝ることは何もない。苦しいという声を知らんぷりしたり、なかったことにする世の中にはしたくないんだ。それは、このドラマが伝えんとしていることの全てであるような気がする。
何も分からなくなり苦しんでいるあなたの、背中をさすることしかできないとしても。なかったことにはしなくないんだ、と。
理由から先に読み上げられた原爆裁判の判決は、原告側の敗訴であった。
こんなにも時間を掛けて、傷を掘り返して、訴訟費用まで負担することになり、残ったものは何だったのか。
それは、言葉だけではないか。
この言葉をもらうためだけに、こうして戦った人々がいた。そんなことがあるだろうか。最後に判決文が読み上げられたとき、初めて声を上げて泣きそうになった。
山田太一編『生きるかなしみ』という本を今週読んでいた。生きていくかなしみを描く名文を集めたアンソロジーだ。
山田太一による序文から、思いの外釘付けになった。豊かさと可能性ばかりを追い求めて、生きるかなしみから目を背ける世の中でいいのだろうかと。
老いの苦しみや恋の悲しみ、人から見れば些細に思える装いに関する業、そして戦争や貧困、差別まで。本当のかなしみは作り話を超えている。言葉を失うようなかなしさの中で人は生きる。
人間はなんて愚かで無力なのだろう。どんなに心を尽くしても、願っても、目の前で苦しむ人を救う力がない。些細に思えることを変える力すらない。
それでも、そういう私たちに言葉がある。祈りとしての言葉がある。私はあなたの味方であったと、何を願い夢見るのかを語り、誰かに残すための言葉が。
何でもできると思ったり、できないことを許せないと思う傲慢。本当は、自分の力ではどうにもならないかなしさの中で人は生きてきたのだと知ることは、やさしさになり小さな希望になる。
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