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レモン忌
今日が『レモン忌』と呼ばれている日だと知ったのはつい3日ほど前のことで、その愛の詩集の終わりに胸を痛めながらもそこに小さな光を見た私は、高村光太郎が一生想い続けた智恵子という人物がどんな顔をしているのか知りたくなって、Safariに『高村智恵子』と放り込んで、そしてその無垢な子どものようなお顔と、1938年の10月5日、つまり86年前の今日、彼女がサンキストのレモンをひと齧りして『元素にかへつた』ことを知ったのでした。
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『智恵子抄』を知ったのもほんの数日前のことです。フォローさせていただいている方の写真に『千鳥と遊ぶ智恵子』が添えられていて、それを観て読んだ瞬間、心にざわざわと起こった漣が、読み終える頃には渦を成してそこへ私は惹き込まれていたのでした。
そしてAmazonですぐにその詩集を取り寄せ、あっという間に読み終えたのです。たったそれだけのこと。それだけのことなのです。
ですから今日、ここへきたのはとても生意気で軽薄で場違いな行為で、ともすれば大変失礼なことであったかもしれません。
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それでも私はスーパーで買ったレモンを一つ、カバンに入れてここへやって来ました。
光太郎が智恵子を想うことは、私が妻を想うことでした。その静謐な詩を指でなぞっていると、恐れながらそれが私の口から出た言葉のように思えて、気付けば妻と智恵子を重ねてしまっていました。
文才も、それを導くための誠実さも足りていない私が、愛の偉人の才能を借りて、またその苦悩を通して、妻を想うことは、二人の人生を"道具"や"教養"に貶めて盗んだような後ろめたさを感じ、辛かった。
ですが、それを止めることは出来ませんでした。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
人間商賣さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち盡す。
エモい。そんな浅はかで瞬発力のある情動にまかせてこれを手にしたことを、はじめはとても後悔しました。
智恵子に出会った頃の、喜びに溢れた光太郎の詩を読んでいると、胸が締め付けられるようでした。もう何年かしたら、その智恵子は光太郎を置いて天然の向こうへ行ってしまうのだから。そして、トパアズ色の香気の中、その呼吸を止める。
読み終えた今、後悔はありません。ただ、美しいものに触れることができたという感謝だけがあります。
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大井町駅からゼームス坂を通って小雨の中を歩きます。かつてゼームス坂病院があった場所。智恵子の最後の地。
着いた時にはすでにレモンが四つ供えられていました。私はカバンから買ったばかりのレモンを取り出して、そこへそっと加えました。
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
昭和一四・二