水槽の彼方
朝寝坊をして、開け放ったカーテンの向こうから差し込む光。窓の向こうから差し込むやわらかな風は私を外へ誘うものでした。
カメラをぶら下げて近くの公園へ行くと、祝日ということもあり親子連れがたくさんいました。日陰は寒いですが空には青空が広がっていて、日差しは暖かく半袖で走り回る子もいます。
もうしばらくしたらこの公園にも来られなくなります。家を買ってこの土地を離れることを選んだのは私ですが、言いようのない寂しさが胸の内に漂っていました。
秋は寂しい季節。なんでそんな季節に別れを用意してしまったのでしょうか。木々の合間から落ちる木漏れ日を辿るようにとぼとぼ歩きます。
長袖のスウェット一枚にコットン素材のバルーンパンツ。昼間は上着はいりません。そういえば、春先にもおんなじ格好で散歩をしたっけ。
あの時はたくさん花が咲いて、生き物が踊り出してあちこちでシャッターを切りました。今日はというと、あまりカメラを構えていません。
それはきっと、心の持ちよう。寒くなるにつれて、心はガラスの様に薄く脆くなってゆきます。春の様に感じたものをそのまま吸収できるスポンジのような心ではないのです。
それでも私はこの季節が一番好きです。
水辺では釣り人が所狭しと肩を並べて糸を垂れています。会話をするでもなく、みな一心に水面を見つめてじっとしています。
その向かいでは魚取り網で水面を撫ぜているお婆さんがいました。何を取っているのでしょう。後ろに置いてある水槽はまだ空。
私がもし水槽の中の魚なら、世界を知りたくない。水槽という限られた空間を全てだと思っていたい。それでも好奇心は捨てたくない。
だから、いつかガラスの向こうを知って、水底から尾鰭を振るわせ勢いよく水槽から飛び出すでしょう。
そして、ピチピチ跳ねているのが退屈になって、鰭を捨て足だか羽だかを生やし、なんとかやって行くのでしょう。不格好な姿になっても。
慣れ親しんだ土地を離れるのは寂しく、新しい生活を迎えるのはちょっぴり恐くもあるけれど、それは今の話。
今は明日になり昨日になります。気づけば新しい生活が当たり前になっていることでしょう。数ヶ月後には、ここに代わるお気に入りの場所だって見つけているかもしれません。
大きく羽ばたいて羽ばたいて。ふと疲れて羽を休めた時、懐かしく思う水槽の水と鰭が美しいものであって欲しいと思います。
木々の中で大きく息を吸って、吐いて。甲高い鳥の声が白塗りの団地の壁にこだまして落ちてくる。
ゆっくりとカメラを構えてファインダーをのぞきます。その向こうには何の変哲もないいつもの景色の断片。それでも私は人差し指に重さを乗せます。
数週間後には特別な景色に変わる、私の日常のカケラに。