旅に出た写ルンです
職場の近くの公園は私の憩いの場です。出勤前や昼休みにぼーっとするのにちょうど良い、緑にあふれた都会のオアシス。
そんな公園の木々の合間、西の空には金色の人形の様なものが見えます。細いラッパの様なものを吹いている、高い尖塔の先に立つ像。あれはなんだろう。いつもそう思いながら特に調べようとも思わず日々過ごしていました。
「あれはモロナイという預言者です。」
今知り合ったばかりの彼はあの像を指差してそう言いました。私は唐突にあの像が誰なのか知ることになったのです。
遅番の日の朝。出勤時間よりも1時間半近く早く最寄駅に着きました。コンビニでコーヒーと肉まんを買って公園へ向かいます。小雨が降ったり止んだりしていて、リュックの脇に差した折り畳み傘に手を添えて、雨が強くなったらいつでも抜刀できる様に、濡れた土の上を歩きました。
時間があるので「のんびりする用」のベンチに向かいます。公園は広いので私にはお気に入りのベンチが3箇所にあります。「早番の時サクッとご飯を食べる用」、「人目に触れず過ごしたい時用(今は毛虫注意)」、そして、こじんまりした広場にあるちょうど良い開放感の「のんびりする用」ベンチ。
広場に着くと、5つあるベンチのちょうど真ん中に、ピシッとスーツを来たブロンド髪の男性が座っていました。この公園ではあまり見ない佇まいです。私は一つ空けて左端のベンチに腰掛けます。
イヤホンを外して鳥の声を聴きながら肉まんをかじりコーヒーをすすります。この組み合わせは意外と合うのです。
食べ終わると8:30。まだ出勤まではま1時間ほどあります。ぼーっと目を閉じていると、「すみません」と声がしました。スーツの彼が電話でも始めたのかと思っていると、「すみません!」ともう一度声がします。左を向くと青い綺麗な瞳と目が合いました。
「すみません。今お時間ありますか?もしよかったら、私の日本語の勉強のためにお話してくれませんか?」
彼は流暢な日本語でそう言いました。私は「良いですよ」と返事をして荷物を持って立ち上がります。彼もこちらに来ようとしてくれていて、私たちはぎこちなく笑い合うと、間にあったベンチに腰を下ろします。
話を聞くと彼は2週間の旅行のためアメリカから日本に来たとのことでした。5年ほど前まで日本で暮らしていてその時は関西にいたのだと。これから就職をするので、それまでの休みを使って旅行に来たとのことでした。
彼の日本語はとても上手で語彙も豊富で感心して聞いていたのですが、変なところに穴が空いていて、「のんびり」がわからなかったり、埋めるがわからなくて「土の下にしまう」と言ってみたりしていて、なんかかわいい。
「5年前は何をしに日本へ来ていたのですか?」
私がふと聞いてみると彼は、
「宣教師として来ていました」
私は内心ビクッとして心のシャッターを下ろしそうになりましたが、彼に私を勧誘しようという意図はないようです。というか信仰もそれを布教するのも彼の自由で私がそれを断れば良いだけなのだから、それだけで身構えてしまうのは私の心が狭いからなのでしょう。私は彼に偏見を持ってしまったことを恥ずかしく思いました。
「日本人は無宗教の人が多いから、色々と苦労されたんじゃないですか?」
負い目からそんなことを聞いてみると、「そうですね」と彼は笑いました。
彼は友達を待っているそうでした。その友だちが着くのが夕方になるので時間を潰しているそう。それにしてはまだ朝の9時前だし、まさかこのベンチに夕方まで座っているわけではないでしょう。それに、旅行に行くのにスーツにネクタイも変だし。
そのことを彼に尋ねてみると、彼は「神殿へ礼拝に行くのです」と言いました。9時にならないと神殿が開かないからここで待っているのだと。
「その神殿はどこにあるんですか?」
私が聞いてみると彼は目の前の空を指差しました。そして、わたしは彼の指の先であの尖塔の先に立つ金ピカの像を見つけ、その名とその下にある神殿について知ることになったのでした。
彼は自分の宗教の歴史やこれからどこに行くかなんかを教えてくれました。私も自分の生まれや趣味のカメラの話なんかをしました。
彼は「いいですね、カメラ」と言ってくれて、「自分は旅行に行くのにスマートフォンしかない……」と笑いました。
9時を過ぎたので、「ごめんなさい、そろそろ……」と話を切り上げて腰を浮かせます。彼もこれから神殿へ行くのでしょう。彼から連絡先を聞かれてLINEを交換しました。私は笑顔で応じることが出来ていたでしょうか。少し不安です。
彼に手を振ったところで突然思いついて、「ちょっと待ってて!」と言って職場へダッシュします。振り返ると彼は不思議そうな顔をしていました。ビシッと締めたネクタイの上のその顔が、なんだか不釣り合いで可笑しい。
鼻先とつま先で色づいた銀杏を感じながら、散歩中のサモエドの横を颯爽と駆け抜けて職場へ。霧のように降る小雨が気持ちいい。ロッカーにたどり着くと荷物を押し込んで中にあった写ルンですを引っ掴んで再び飛び出します。
この写ルンですはとある方の生活の差し色になればと買っておいたものですが、まあ、また買えばいいだけの話です。
少し汗をかき髪を振り乱しながら、さっきの広場へ駆け込むと、彼は同じベンチで私を待ってくれていました。
時間がないので、「これ、プレゼント!」とだけ言って彼に写ルンですを渡すと、再び踵を返して職場へ駆け出します。手を振りながら遠ざかると、彼も手を振って「Nice to meet you!!」と言ってくれました。
「Nice to meet you」って「お会いできて嬉しい」か。英語の授業で最初に習うみたいに、「はじめまして」の意味じゃ使わないのかなぁ。
そんなことを考えながら走っていると銀杏に足を取られてうっかり転びそうに。鼻をつく臭いの吹き溜まりの向こうから、透明で寂しげな秋の風。銀杏の葉はまだ緑。
仕事の休憩時間にスマホを見ると彼からLINEが来ていました。最初の一枚は私とのセルフィーを撮りたかったとのこと。あら、ロマンチック。でも、きっと私でも同じことを考えただろうなあと嬉しくなります。
あれから3日。公園で空に浮かぶ金ピカの像を見る度に彼のことを思い出します。彼は今ごろ瀬戸内にいるはずです。現像したら写真を送ってくれるそうなので、楽しみに待つことにしましょう。