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老母と私の農作ノート82
香炉峰の下、布団の中で
今朝は布団にくるまりながら、白楽天の詩「香炉峰の下、新たに山居を卜し…」の一節がふと頭をよぎった。詩人が自然と調和する中で、身の置き所を得た安らぎを詠んだあの情景だ。窓の外は冬の冷気に包まれ、木々は凍えたように立ち尽くしている。現実には、この布団の中こそが私の小さな「山居」だ。寒さに逆らうことなく、ただ身を預けている時間に少しの贅沢を感じる。
妻はすでに勤めに出掛け、家には私一人。今日の勤務は昼からだ。少しの余裕があるおかげで、朝寝という久しい習慣を思い出すことになった。子供の頃は、休日の朝だからといってこうして布団に潜り込むことはなかった。むしろ、休みの日はいつもより早く目が覚め、家の中を静かに動き回っていたような気がする。しかし、不思議なことに、その早起きして何をしていたのか、記憶は霧の中だ。ただ、窓の外から差し込む朝の陽射しや、冷えた空気が記憶の中にぼんやりと残っている。
今では朝寝が許される日のありがたさが身に沁みる。とはいえ、明日は土曜日。休みだが、早起きが必要だ。実家に帰り、二階の片付けをする予定があるからだ。老母と一緒に取り組む片付けは、骨が折れる作業ではあるが、片付け終わった後の達成感は何にも代えがたい。不用品がなくなっていくことで、実家が少しずつ軽くなり、過去の重荷が取り払われるような気がする。その作業は、物理的な整理だけでなく、心の整理でもあるのだ。
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私が子供の頃、休みは日曜日だけだった。日曜の朝、いつもより少し遅く起きることが何よりの楽しみだった気がする。母が台所で朝食を用意する音や、テレビから流れる子供向け番組の明るい音楽が、朝寝の幸せをさらに際立たせていた。しかし、そうした小さな幸福も、今の生活の中ではいつの間にか贅沢になった。平日、布団から起き上がるのに苦労する毎日を過ごしていると、この朝寝のひとときがどれほど貴重なものか痛感する。
香炉峰の詩を思い起こしたのは、もしかしたらそんな安らぎへの憧れからだったのかもしれない。詩人の山居が自然との調和にあるように、私の布団の中での時間も、冬という季節の中で静かに身を委ねることで得られるものだ。午後の勤務までの短い時間、私はこのささやかな「山居」をもう少し楽しむことにしよう。
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日々の忙しさに追われる中、こうして立ち止まり、過去を振り返りながらも現在を見つめる時間は貴重だ。明日は早起きが待っているが、片付けの後にはまた別の満足感が訪れるだろう。そしてその後、久しぶりに日曜日の朝寝を満喫することを夢見て、今日の布団をもう少しだけ暖めていたいと思う。