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老母と私の農作ノート79
何もしないという贅沢
朝起きて、ぼんやりとカーテン越しの光を眺めていると、「今日は何もしなくていい日だ」と思った。日常の忙しさから解放されたこの感覚は、奇妙な安心感と共に少しの罪悪感を伴う。世の中には、働き詰めの人がいる。充実した休日を求めて、予定をぎっしり詰める人もいる。そんな中で「何もしない」という選択は、一種の背徳的な贅沢にも思える。
昼には、妻が焼いたクロワッサンがテーブルに並んだ。いつもながら、彼女の手際の良さには感心する。サクサクとした焼きたてのクロワッサンを一口かじると、バターの豊かな香りが口の中に広がり、これ以上の幸福はないと思わせる瞬間が訪れた。だが、ふと視線を向けると、彼女は手早く片付けを始めている。何もしない自分と、動き続ける彼女との対比が、少しばかり居心地の悪さを生む。
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午後からは、妻に誘われて韓流ドラマを観ることになった。正直なところ、私はこの手のドラマに興味がない。特に、ストーリーが大仰で感情の起伏が激しい作品は、どうにも馴染めない。しかし今日は、彼女に付き合うと決めていたので、ソファに腰を下ろした。ドラマが始まると、彼女はすぐに画面に引き込まれた様子だった。一方の私は、初めは興味を持とうと努力したが、次第にストーリーを追うことが苦痛になってきた。そして気がつけば、目を閉じ、知らぬ間に夢の中へと逃避していた。
「いびきがうるさい」と妻に起こされたとき、彼女の視線には少しの呆れが混じっていた。「ごめん」と謝りながらも、心の中では、どうしても共感できない物語への苛立ちが渦巻いていた。彼女が夢中になるそのドラマは、私にとって退屈の極みだった。だが、その情熱がどこからくるのか、興味がないわけではない。
夕食はカキフライだった。衣はカリッと揚がり、中からはジューシーな牡蠣の旨味があふれ出す。妻は料理の腕前もさることながら、私が好きなものをよく知っている。そんな彼女に感謝しつつも、私の頭の中にはさっきのドラマの続きをどうしても観る気にはなれないという考えが渦巻いていた。
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夕食後、彼女は再びテレビの前に陣取った。画面の中では、登場人物たちが涙を流し、感情をぶつけ合っている。彼女はその様子を見ながら、「これが本当にいいのよ」と力説するが、私にはその良さが一向に伝わらない。彼女が心を震わせるシーンを、私はただの茶番劇のように感じてしまうのだ。
結局、私は彼女を残して自室に戻った。そして思った。「今日という日は、何もしないことに意味があったのだろうか?」朝、昼、夜、何一つ生産的なことはしていない。それでも、彼女と一緒に過ごし、同じ空間で時間を共有した。これもまた、一つの贅沢と言えるのかもしれない。明日からはまた忙しい日々が続く。だからこそ、何もしない一日を時折楽しむのも、悪くはないだろう。
ただ一つだけ確かなのは、今日観た韓流ドラマの続きはもう二度と観ない、ということだ。