見出し画像

老母と私の農作ノート73

私の実家は今住んでいる場所から車で30分弱と、それほど遠くない距離だが、やはり高齢の母を一人残しておくのは心配だ。だからこそ、私は毎週末、必ず実家に足を運ぶようにしている。

母はまだ元気で、車も運転する。しかしその姿を見るたび、胸のどこかがざわつく。「もう車の運転はやめたら?」と提案しても、母は「米寿になったら辞める」と笑って答えるだけだ。私としては、それまで事故なく過ごしてくれることを祈るしかない。

実家に行くたびに感じるのは、その家が持つ時間の重みだ。長年の暮らしが凝縮された空間には、母だけでなく私たち家族の歴史が詰まっている。しかし、どこを見ても「要らないものだらけ」という現実がある。古びた家具や、すでに使われなくなった家電、古新聞や壊れかけた雑貨……。もしかすると戦前の品物すら、家のどこかに眠っているかもしれない。

古民家

今年こそは実家の断捨離をしようと決意している。母にとっても、私にとっても負担になるだけの「もの」を整理し、少しでも暮らしやすい空間を作りたい。とはいえ、母の思い出が詰まった品々を手放すことに抵抗があるのも事実だ。「これはお父さんと一緒に使ったものだから」「これは私が若いころ、苦労して手に入れたものだから」と語る母の声を聞くたび、そのものが持つ意味の深さに気づかされる。だからこそ、母と相談しながら、無理なく進めていきたい。

断捨離だけではない。今年こそは庭に小さな畑も作りたいと考えている。かつて父が世話をしていた畑の一角を使えば、野菜や果物を育てられるだろう。母も土いじりが好きだから、きっと喜んで手伝ってくれるはずだ。「少し体を動かすのはいいことだよ」と笑いながら、母が手際よく土を耕す姿を想像すると、不思議と心が温かくなる。一緒に住む話も、何度か母に持ちかけたことがある。「そろそろ一緒に住もうよ」と提案すると、母は半分喜びながらも「一人暮らしのほうが気楽だから」と笑う。どうやら自由気ままな生活が気に入っているらしい。

じゃがいもの苗

とはいえ、高齢者が一人で暮らすリスクを考えると、やはり不安は拭えない。私としては、いつでも一緒に住めるよう準備だけはしておこうと思っている。振り返ると、母と実家に関わる時間が増えるほど、自分の人生における「家族」という存在の大きさを再確認している気がする。親の老いに直面するのは決して楽なことではないが、同時にそれは、親子の絆を再び強く結び直す機会でもある。実家の片付けや庭の手入れといった日々の小さな努力が、母の暮らしをより快適にし、私自身の心を満たしてくれることを信じている。今年もまた、実家を中心に忙しい日々が始まる。けれど、その忙しさを前向きに捉え、母とともに過ごす時間を大切にしていきたいと思う。それはきっと、私自身の未来にとっても、かけがえのない財産になるはずだから。

いいなと思ったら応援しよう!