老母と私の農作ノート8
11月最初の土曜日に母の待つ田舎へ行く。またまた雨の降る先週と同じような天気です。先週使った合羽は置いたままでしたので、その場で着替えて作業に入ります。
今度は畑の横に植わっていた「ドウダンツツジ」を根っこごと掘り返そうとして作業に取りかかりました。
これがまたしんどい。根っこの方は直径十数センチだけどまあその根の深いこと。掘れども掘れども底が見えない。根比べの作業。しかもこのツツジ君。横並びにのこり五本ほど待ち構えている。
どうだ、おやじ!俺たちを無き者?にしたかったらその貧弱な鍬と鋤で挑戦してみろよ。
まあ、なんと根深くも丈夫なこと。
一本も掘り起こすことができずにその日は午前中いっぱいかかってしまう。まさか、そんな羽目になるとは全然思ってもみなかった。
その日は全部ドウダンツツジを掘り起こして畑を作る準備をするつもりでしたので、この結果になってしまってふかく失望してしまいます。
まあ、仕方がない。ここの作業を始めてからいかに頭で描いていたことと実際が食い違うのかは思い知ることができたのが自分には良い体験となりました。
こういうことならこの木も紅葉まで待ってから切り倒せば良かったかなと少し後悔しています。
そうなのです。先週の作業で土から20センチくらいの所ですべて切り倒してしまったのです。母に言わせるとまた生えてくると言うこと。
今日もまた自然との戦いに完敗して帰らなければならないかとがっくりと気持ちが落ち込みました。
ただ敗北と言っても「当然の結果として負けている」という気持ちのせいか悔しさとかは全く感じないのです。ただ自分が旨く自然と付き合えていないな、と感じるだけです。合羽を着ての作業はまた汗で全身がぐっしょりと濡れています。
ただし、今日は完全に着替えを用意してきたので後顧の憂いはない。どれだけ濡れてもどんとこいだ。
本格的に農作業に入るのはまだまだかかりそう。母は今日は風邪気味だったので家で休んでいてもらいました。明日は友だちと会いに出かけるとか言っているけど大丈夫かな。
母は今年86才になりました。まだ腰も曲がっていないことが自慢で、自動車の運転も自分でします。そろそろ免許返上をした方が良いのだけどどうなんだろう。
ツツジ一本を掘り返すこともできないまま私は家の方に引っ込みました。母がいれてくれたインスタントコーヒーを飲んで、「月曜日が振替休日だからまた来るよ。切り倒した木とかを処分する」と母に告げて帰ることにしました。
ここで私は月曜日の敗北をしなければならないことは全く予想していなかったのです。