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老母と私の農作ノート81

寒い冬の日、ひとたび冷たい風が頬を撫でると、私は少年期を過ごした大分県山香町の景色がありありと蘇る。その地で、小学校二年生から中学校一年生までの約六年間を過ごした私は、今でもその日々を心の中で宝石のように大切にしている。山香町は私にとって、ただの故郷ではなく、少年時代のすべてが詰まった思い出の箱庭だ。

夏の日差しが降り注ぐ中、私はよく近くの川で泳いだ。友達と一緒に水をかき分け、流れに身を任せながら遊ぶ時間は、何にも代えがたい自由の象徴だった。川の冷たさが体にしみ、気付けば体中が泥だらけになっていたのも懐かしい。それが終われば、山野を駆け回り、虫取り網を片手に、カブトムシやクワガタを追いかけるのが日課だった。山の奥深くまで入り込み、誰も知らない秘密の場所を見つけたときの高揚感は、今でも忘れられない。

神社の境内も私たちの遊び場の一つだった。セミの鳴き声が耳をつんざくような夏の日、木々の間を縫うように走り回り、夢中でセミを捕まえた。小さな手におさまるセミの温かさや、震える羽の感触は、今でもはっきりと覚えている。神社はまた、私たちにとって特別な場所だった。年に一度のお祭りが開かれると、出店が境内を埋め尽くし、色とりどりの提灯が灯された。焼きそばの香り、りんご飴の甘い匂い、射的の音――それらすべてが私の五感を満たし、心の中に鮮やかに刻まれている。

金魚すくい

冬になると、山香町の坂道は雪で真っ白になった。友達と一緒に雪合戦をしたり、手作りのソリで坂を滑り降りたりするのが、冬の最大の楽しみだった。凍えるような寒さの中でも、体を動かせばすぐに頬が赤く染まり、雪遊びの興奮で寒さを忘れるほどだった。雪が夜空に舞う光景は、まるで私たちの少年時代の輝きを象徴しているかのようだった。

そんな山香町を先日訪ねたとき、私は時間の流れの残酷さに胸を締め付けられる思いだった。かつての通学路は舗装され、見慣れた学校の建物は取り壊され、新しい住宅地が広がっていた。自分の記憶の中にある風景が、現実とあまりに違っていることが、どうしようもなく寂しかった。人はよく「故郷は変わらないもの」と言うが、それは決して本当ではないのだと痛感させられた。

しかし、ただ一つ変わらないものがあった。神社だ。静かに佇むその姿を目にしたとき、私は安心感と同時に、不思議な違和感を覚えた。かつて広大に感じられた境内が、思ったよりも狭く感じられたのだ。それは、自分が成長した証拠なのかもしれない。幼い頃には大きく見えた世界が、大人になるにつれて小さく見えるようになる。だが、その狭さに失望するどころか、私はむしろその縮尺の変化を受け入れ、懐かしさに浸った。

神社の境内

山香町での少年時代は、私にとってかけがえのないものだ。川や山、神社で遊んだ日々は、時間が経っても色あせることなく、今でも心の中に生き続けている。現実の風景は変わってしまったとしても、私の記憶の中では、あの頃の山香町はそのままだ。そして、時折思い出すたびに、私はその地が与えてくれた数々の贈り物に感謝せずにはいられないのだ。

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