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自分の関わったまちづくりについて、インタビューを受けた

先日、まちづくりを学ぶ大学生からズーム・インタビューを受けた。私が関わってきたまちづくり活動に関するインタビューである。日本のまちづくりをインドネシアに伝えるためにも、自分の活動を相対化する必要がある。インタビューは、だいぶ思いつきでしゃべっているので、まとまらない話も多かったと思うが、改めてその時のことを思い起こしながら、補足的に勝手に色々付け加えながら、自分の活動について文章にしてみたい。実際にされた質問と異なったり、質問と答えが噛み合ってなかったりするが、まあ、それとそれとして、いつか推敲するとして、とりあえず書いてみよう。
(写真は文中の商業施設。固有名詞はできるだけ省いた。)


地域と関わるきっかけは何ですか?

出雲大社の門前町の景観まちづくりや広島県や島根県のある都市の景観計画策定に関わったことがあるが、これらはそれぞれ自治体から依頼を受けて行ったものである。

依頼があったからといって、何でも受けるわけではないが、大学や研究室が関わる意味があると考えられるもので、その時点での研究室の体制がそのプロジェクトに十分対応しきれると判断できる場合には、これまで積極的に対応してきた。

今回のプロジェクトは、大学が立地する「地元」でのプロジェクトである点が、関わった理由としては大きい。大学はそれぞれの「地元」のまちづくりに積極的に関わるべきであると考えているからである。

すでに15年近く前から、私自身は大学の「地元」自治体とのまちづくりに関する様々な連携事業を行ってきた。耐震改修・耐震診断の普及とまちづくりを連動させるワークショップを、市役所のサポートのもと、いくつかの自治会で行ったり、密集市街地の改善提案を行ったり、公共ホールを市民が気軽に立ち寄れる場として位置づける計画の策定も行ってきた。

その中で、自治体と建築士と大学とが連携して地域の課題に取り組む、継続的な組織を立ち上げたり、自治体の建築部と学部との連携協定の締結を行ってきた。

今回のプロジェクトは、自治体から依頼を受けたわけではないが、「地元」のまちづくりに大学が関わるという大きな流れの中に位置付けることができると思う。

実際的なきっかけは、この地区が、今回の実施設計を担当した建築士の方が以前から関わりのあった地区であり、彼に非常勤講師として来ていただき一緒にやっている授業の一環で「古民家を活用したまちづくり拠点の提案」というテーマで、この地区を対象にしたことにある。その際、提案対象として選定した「古民家」は、我々が後に設計に携わることになる商業施設のオーナーの所有によるものであった。

授業で学生たちの様々な提案を聞いていただく中で、何らかの可能性を感じられたのか、神社の真向かいの実際の敷地を対象に、商業施設の学生提案の機会をいただいた。

その後、学生が提案のみならず、実際の設計に携わったり、まちづくりの様々な活動に関わることになるが、それは、地域活性化の商業施設の計画は、周辺のまちづくりと一体的に行われるべきであるという、ある意味、自然な発想にもとづくものであった。

大学が「地元」に関わるという発想はどこから出てきたのですか?

あまりその前提を疑ったことがなかったが、改めて考えてみよう。

日本全国、各地域でより良いまちづくりを実践するには、それぞれの地域のまちづくりに責任を持つ専門家がいると良いという発想がベースにある。建築の世界で言えば、これはタウン・アーキテクトとかコミュニティ・アーキテクトと呼ばれるもので、各地域の建築家・建築士がそれぞれの地域の建築や景観やまちづくりに責任を持って関わることで、全国各地のまちがより良いまちになるという考え方である。

建築家・建築士と書いたが、建築関連の市役所の職員であったり、建築学科等の大学の教員も該当するだろう。

大学で言えば、全国47都道府県には、それぞれ最低1つの国立大学があり、それぞれの国立大学のスタッフが、各都道府県の行政やまちづくりに責任を持って関わることが求められる。

同様に、国立大学に限らず、それぞれの大学が「地元」に関わることで、全国各地のまちづくりが活発化すると考えている。

学生に対する期待や失望など、学生に対する地元の様々な想いに対してどのように対応したのですか?

学生といっても、必ずしも皆がやる気があって優秀な学生ではなく、いやいやながらついてきて、単位のためにしょうがなくやっている学生もいる。

地域の期待に応えられることもあれば、応えられないこともあるし、どちらかというと、応えられないことの方が多いかもしれない。

地域で活動するからには、受け入れてくれる地域の方々がどう感じているかは重要である。

教員と地域との距離感はそれぞれの現場で様々であると思われるが、今回の私のケースでは、必ずしも教員自身が地域と密な関係にあるとは言い難い。地域のまとめ役の方に依存してしまっている部分や、ともに活動している他のメンバーに依存してしまっている部分が大きい。

大学教員など外部の人間が先導的にまちづくりを推進するかたちが必ずしも理想的ではない。主役はあくまでも地域であり、地域が中心的な主体になるべきで、その状況をどうやって作りながら、周りを取り巻く様々な主体が連携していけるかが重要だと思う。

そういう意味では、商店街のリーダー役の方の存在は大きいと思う。おそらく地元に存在するであろう様々な意見を調整しながら、大学や学生に対する継続的な期待を持ち続けていただいていおり、その存在に我々の活動は支えられている。

また、商業施設の設計やマネジメントについては、当然のことながら、施主の方の理解や協力によるところが大きいが、商店街の個々の店舗の事業主とは異なり、この地に幾つかの不動産を持っている施主とともにまちづくりに取り組んでいるという事実は大きな力となっている。

何よりも、大きいのは、商店街の中の一軒を大学院生が住みながら、セルフ・リノベーションを行いつつ、シェアハウスやコミュニティスペースとして活用を模索する姿を見てもらえたことにあると思う。

ふらりとやってきては去っていく存在とは異なり、そこに住んで生活するということがもたらす効果はことの他大きい。

活動としては、様々なことをやってきており、学生や研究室独自の活動や、商店街とは異なる団体との連携活動や、商店街の活動のサポートなど様々であったが、対象が商店街ということもあり、どういう人であれ、新しい人が訪れることを歓迎する気質は感じられた。

大学がまちづくりに関わる意味は何ですか?

直接的には、地域の未来を先導するような計画の立案や地域のまちづくりに対するアドバイスを専門的な立場から行うことが求められていると思う。ただ、時代の変化に敏感で、かつ地域の主体性が重要なまちづくりという分野においては、具体的な処方箋を示すことは難しいのではないかと思う。

我々は、定期的に地域の方々と学生がともに参加するワークショップ形式の意見交換会を実施し、我々の活動内容を説明しつつ、地域の方々とともに地域の課題や魅力を確認し、今後の地域や商店街に何が必要なのか、自分たちに何ができるのかを話し合ってきた。

その場は、学生・商店街・地域・NPO・行政のつながりを作る場であった。そうしたつながりをもとに、ワークショップで出たアイデアを一つ一つ実現していった。商店街だけでは発想できないような新しいアイデアを実現することで、常に変わり続ける商店街の姿を見せることにつながっただろうか。

また、商店街に店舗を構えてはいないが地域内で商いを行っている様々な方々が商店街とつながりを作れるように、新しい商業施設でサービスを提供できるような仕組みを作ったり、地域の方々の活動が披露される場として施設が活用されることで、商店街の拠点性を高める仕掛けを実行した。

学生居住のコミュニティスペースも、定期的にイベントを開催することで、商店街にはない新しいサービスを提供する場として機能するとともに、新しい顧客を確保することに貢献した。

これらは、地域の活性化に向けたささやかな実践であるが、いずれも教育の機会にもなっている。まちの現実を知る機会でもあり、セルフ・リノベーションなどは建築を学ぶ機会でもある。

また、まちづくりに関わった学生の何人かはその関わりをもとに卒業論文や修士論文をまとめているが、いちおう論文という性格上、単なるレポートとは異なり、新しい発見を含むものであり、ある種の普遍性を持つものである。

その地域の特殊性と普遍性を見極めながら、そこでのまちづくりの実態から、まちづくりのあり方につながるような事実の発見が積み重ねられている。

平たくいうと、まちづくりが成功するためには、どのようなプロセスを経るべきかであったり、地域の人々や組織にどのようなポテンシャルが求められるかであったり、まちづくりの展開に従って地域の人々や学生の意識がどのように変化していくのかといった研究などが、それぞれの学生の視点で行われている。

多くの論文が、卒論や修論どまりで公開されていないが、本来であれば、学会論文として報告されて、広く成果が公開されるべきである。そのためにも単なる調査報告ではなく、分析のプロセスが丁寧に検討される必要がある。

地域とのまちづくりの目指すべきものは何でしょうか?

商店街と大学との連携によるまちづくりには、ある一定の可能性はあると思う。今回関わっている商店街は、大阪の中でもよく知られた商店街であり、これまで通りの地域の生活ニーズに対応しつつ、対外的な来訪者を受け入れるべく、新しい人と関わりつつ、新しいコトを起こし、新しいニーズを発掘し対応することが求められるのではないか。大学との連携によって、学生による様々な活動が実施され、新たなサービスの提供や新たな顧客の発掘につなげながら、教育と経済が両立する場が生まれると良いと思う。

ただ、商店街の活性化の検討には、商売の成功による金儲けの手伝いのような側面も垣間見られる。金儲けの手伝いがしたいわけではないことは言うまでもない。

社会的なインフラとして商店街が地域にとって重要であるという視点から考え始めるべきであり、もっと言えば、地域こそが重要であり、地域の人たちが不安を感じずに幸せに日常を過ごせるまちをいかに作り出していくかが重要である。

商店街は商店街の存続のために知恵を絞って試行錯誤を繰り返していくと思われるが、今後もますます進んでいく高齢化に対して、どのように地域が対応していくべきか、人口減少や地域の空洞化に対して、どうすべきかは地域の課題として継続的に取り組まないといけないテーマとなるだろう。

我々が企画・計画・設計に携わった商業施設は、当初、地域の高齢者が気軽に集まることのできる場、日々の健康状態が気軽にチェックできる場、元気なお年寄りが働く場として想定されていた。

まだ実現できていないが、賑わいづくりだけでなく、歩いて暮らせるための生活機能の充実など、やるべきことがまだあると思う。241107インタビュー

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