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ササック族の伝統楽器の演奏で祭りの開始を盛り上げるも・・・

マウリド・アダット・バヤンの前日の行事について記録しておこう。9月17日のことである。夕方5時ごろから真ん中の車道で祭りの横断幕を持った行列が音楽と共に登場。バヤン中心部の人たちに祭りの開始を知らせるために、山側から降りてきてモスクまでを行進するものであった。

全体は前半のグループと後半のグループに分かれていて、前半グループは、普段着を着た地区の親子の一群の後に伝統的な衣装をまとった子ども待ちの一群、最後に30歳代前後の男性たちの一群である。この男性たちは手に金属製の打楽器を持ち、それを叩き鳴らしながらの行進である。東バヤンのPak Kades(村長)もその中にいた。後半のグループには、ササック族の伝統楽器であるグンダン・ブレGendang Beleq(大きな太鼓)を演奏する一群がいた。最初に大きな太鼓のグループが6名、真ん中はシンバルを叩くグループが9名、最後は太鼓とドラと笛の10名、総勢25名の楽団である。

グンダン・ブレの楽団は、理念的には17名で構成されるのが良いとされる。イスラームの学者が17人の奏者を使ったことによる。17名で構成することによって、象徴的にこの音楽を媒介としてイスラームへの信仰を広めることができると考えられていたのである。また、その配置は人体の象徴だという。それぞれ、頭、鼻、口、体、足、息を表しており、ドラが頭、大太鼓は足、笛が息だという。もともと、このグンダン・ブレは王族によってのみ披露されるものであり、大きいを意味するbeleqは壮大な、高貴な、崇高なという意味ももつことから、名誉あるものであった。この演奏は、戦士たちを戦場に送り出すために士気を高めるためのものであったが、現在は、結婚儀礼の際の伝統的な行列の一部としてや大きなイベントや祭りの際に披露されるものとなったという。

太鼓そのものはササックのものであろうが、ガムラン的な楽器や編成は、ジャワあるいはバリの影響であろうか。大太鼓も、演奏の際のステップは、バリのバロン・ダンスのような足運びが若干見られた。専門的にはよくわからないが、ここら辺はまた文献等で確認したい。

いずれにしても、1m近くの長さのある太鼓の奏者が6名おり、なかなかの迫力であった。金属の打楽器の音と太鼓の音、笛の音が鳴り響き、祭り開始のイベントとして大いに盛り上がった。

夜8時からは、それぞれのルーマー・アダットでの脱穀の儀式である。ジャナの親族の女性たちが正装に着替え、家の前の広場で儀式を始めた。50cmぐらいの棒の先に火を灯し、脱穀のための舟形の容器の先に籠を逆さにして置いた。実際、この広場には電球がいくつかぶら下がっているので暗いわけではない。これは儀礼の手順なのだろう。5人の女性が手際よく5m程度の長さの竹で籾をついていった。先導するのはジャナの姉(9人兄弟の3番目)である。5人で作業した後の籾を籠に移す作業も彼女一人で行っていた。

マウリド・アダット・バヤンはバヤン全体の祭りのようにみえるが、今回祭りの期間に滞在した感じだと、周りにいる彼らが積極的に参加しているようにはみえない。多くの人はモスクにも行ってないのではないだろうか。子どもたちが遊びに道路沿いの屋台に顔を出したり、2日目のモスクへの行列の際の人ごみを楽しむためにモスクの丘に行っている感じだ。

宗教指導者たちの儀礼という感じだろうか。カラン・バジョの住民たちは全員参加の様相であったが、他の地区はせいぜいルーマー・アダット関係者が関わる感じであった。逆に言えば、宗教指導者たちの儀礼で、住民の参加意識が低くなりがちな祭りなので、各集落の住民の関心を高めるために、行程の中に各集落の役割を組み込んでいるかたちにしているとも言える。240922

(参考文献はdoiでつけるようにしていますが、リンクがうまくいかないようなので、私が参照した際の元ページを掲載しておきます)
https://penerbit.brin.go.id/press/catalog/book/354
https://doi.org/10.55981/brin.354

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