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災害の復興インパクト調査なんだけど、、、

今週末から1週間ほどロンボクへ行く予定である。調査テーマの一つはこれまでも行ってきた、2018年のロンボク島地震後の復興に関する調査である。この調査研究が面白いものなのか、意味のあるものなのかわからないが(笑)、頭の中にモヤっとあるものを文章にしながらざっと整理してみたい。


目的

災害と復興というインパクトを受ける中で、住まいや生活がどのように変化するのか、変化しないのかを明らかにするのが研究の目的である。

被災したバヤン村の中心部の4つの地区を対象に、それぞれのエリアでの生活の変化と支援の影響について考察を行う。

伝統的な住居がほとんどを占める地区と、そうでない地区での被害並びに復興の違い、NGOによって手厚く支援がされた地区とそうでない地区の違いに焦点を当てて実態を元に、復興の影響を明らかにする研究である。

これまでの知見

これまでの調査ですでに明らかになっているのは以下の通りである。

住居の構造は木造、鉄筋コンクリート(RC)造と2種類あるが、壁は、竹の網代壁、コンクリートブロック(CB)の壁、煉瓦の壁が選択される。木造で網代壁の住居は地震で被害を受けることはない。RC造で煉瓦壁を適正に施工したものも被害は少ない。被害が多かったのは、ただ積み上げただけのCB壁である。コンクリートブロックが倒れることで被害を招いている。

6本柱の屋根付き露台ブルガ

各世帯が所有している6本柱の屋根付き露台であるブルガの存在が、被災直後の生活空間にとって重要な役割を果たしている。主要な生活行為である就寝、炊事、水浴(+トイレ)について、伝統的には就寝・炊事は住居内、水浴は住居外であったが、被災直後、就寝・炊事はブルがを中心に行われている。

生活が定常化するにつれ、炊事・水浴の場は住居あるいはブルガに併設され、就寝は住居内へと戻っていった。ただ就寝空間の戻り方については、被災して被害が軽微だったために特段修理もされないままの住居に戻るケースや、政府提供の強度の強い復興住宅に戻るケースなど様々である。適切な耐震改修の方法については共有されないままである。

仮設住宅。5年前に提供された仮設住宅がまだある。

NGOによって仮設住居が被災1年後に提供されているが、与えるだけでその後の管理が十分行われず、仮設住居でありながら、半数以上の住居が継続して利用されている。ただ主屋として使われることはなく、付属屋として居住や倉庫の用途として使われている。

主屋が再建されず仮設住居が主要な住居の役割を果たしていた復興途上の時期には、ブルガと住居との関係は崩れていたが、復興住宅が建てられるにつれ、伝統的な配列形式であるブルガと住居が対面する形式に戻って行った。

次回の調査で想定される発見

なかなか状況が入り組んでいてわかりにくいが、伝統的な木造住宅が多い地区では被害も少なく、被災後の変化もないに等しいが、RC造など工業材料による住居が多い地区では、その施工精度によって被害度が左右されている。

NGOの支援を手厚く受けた地区では、従前住居と仮設住居と復興住居が建ち並ぶケースもあり、建て詰まりや、就寝の分離も起こっている。

被害はあったがNGO支援がなかった地区では、修復した従前住居か復興住居に住んでおり、住居の数が増えることはなく、ブルガと住居を一つの住まいとした生活を送っている。

災害並びに復興というインパクトを経験しながらも、それぞれの状況の違いの中で、対応の違いはあるが、あるべき状況へ自ら導いている姿を確認できた。

儀礼の場の伝統的住居と政子(片目に傷があるので、伊達政宗にちなんで、政子/雌犬)

特に、伝統的な住居や伝統的な建物群で構成される儀礼の場は、被災前後も変わることはなく、伝統的な儀礼の数々はそうした場において引き続き継承されている実態がある。長くみている私の目からすると、かつて以上に儀礼や祭りを中心に伝統的なものが強化されているように見える。

今後にむけて

こんな結論じゃ面白くもなんともない。やる意味ない。やめた方がいい(笑)

必ずしも研究は、明確な見通しにもとづいてやるものではない。何かよくわからないけど、とりあえず現状を記録しつつ、その中から何か意味のある結論をみいだそうと格闘するプロセスである。

プロットができてしまっている研究は、安心できるが、そういう研究は私の場合は数少ない。研究人生上、意味もわからずやり始めて、意味もわからないまま終えざるを得ない研究もある。

意味を説明できてしまうことぐらい胡散臭いものはない
と開き直ってみよう。(つづく)241021


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