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しがらみの世界:ムラに泊まることから見えるもの

ムラに行く時には、ムラの人の家に泊めてもらっているが、それは32年前からずっとそうである。

最初にロンボクのバヤン村に泊まった時は、バリのカランガセム王宮で紹介状を書いてもらった覚えがある。バリの東に位置するカランガセムの中心にはかつての王宮があり、都市調査とともに王宮の調査に訪れていたんだと思う。32年前のことなので、記憶は曖昧だ。

王宮の所有者は、かつての王の末裔であり、現地の議員を務めている方だったと思う。バリにはかつて王国が7つか8つかあったはずだが、クルンクンやカランガセムの王宮には、現在も水の宮殿が残る。ロンボクのチャクラヌガラの王宮にも水の宮殿がある。大きな人口池の真ん中に島を作り、そこの高台にパビリオンを建設するのである

カランガセムの水の宮殿のパビリオンで、みんなでバリの宮廷料理を食べていたシーンが思い浮かぶ。アルコールでも入っていたのだろうか。主人の彼も我々も盛り上がっていて、話の流れの中で、バヤンに行くのであれば、祭司長(プマンク)に紹介状を書いてやろうという話になった。

当時まだ私は大学院生で、話をつけてくれたのは先生たちだった。研究の目的などを説明して、文をしたためてもらったわけだ。

数日後には、バヤンにいた。その祭司長にその紹介状を見せ、調査の承諾をいただくとともに、泊めてもらうことになった。その時泊めてもらったのが、最近よく泊まっている家の南西の家だったと思う。いま付き合っているのは、その子どもたちの世代である。

そんな滑り出しだったので、ムラに行く時には家に泊めてもらうものだという勝手な常識が自分の中にできていた。

その後、マドゥラ島で調査した時も、いきなり訪れたムラで泊めてくれと交渉し、泊めてもらっていたし、その何年後かに、1ヶ月近く滞在したバドゥイ族の集落でも、山を越え谷を越えやっとついたムラで、誰か泊めてくれとお願いして泊めてもらった。

専門は建築だが、文化人類学系の文献ばかりを読んでいたので、ムラに泊まらないという選択はなかったし、業態としてホームステイなどなかったので、お願いするしかないと、はなから思っていたし、断られるという想定はなぜだかまったくなかった。

今、バリやここジョグジャでふらりとムラを訪れて泊めてもらえるとはまったく思えない。バヤン村で今もし誰か見知らぬ外国人がやってきて泊めてくれと言った時に彼らはその外国人を泊めるだろうか?泊めるイメージはなかなか沸かない。

毎回、ムラに泊まった時には、お礼の意味を込めてお金を包むというか渡すのであるが、いくら渡せば良いのかいつも悩む。

ここ数年、夏や冬にバヤンをしばしば訪れるが、その際、我々だけでなく、インドネシアの大学の先生や学生のチーム、日本の他の大学の先生や学生のチームとともに訪れることが多い。彼らは、ロンボク島地震以降のここ5年の関係であり、震災復興や観光開発のマスタープランづくりという仕事のため訪れており、東バヤンの地区長とやりとりをしながら旅程や宿の手配を行なっている。ある種の契約的な関係にあり、宿や移動の手配についてもビジネスライクである。

一方、私は個人的な関係の中で宿や移動手段を確保している。空港や都市部まで2時間かけて迎えに来てもらって、親戚の家に泊めてもらって、ご馳走になり、お礼の気持ちを込めてお金を包む関係である。

今回、理由があって迎えに行けないと連絡があった。運転手が安い手当ではつかまらないという理由と、インドネシア政府がガソリンの容量規制を始めて、登録手続きをしていない車は、遠方まで行くと容量オーバーになるという理由である。

ガソリンの容量規制については、その動きがあったみたいで、正確な内容は確認できてないが、1日最大60リットルまでという規制を導入する予定という記事を見つけた。60リットルを超えるのはなかなか難しいのではないか。長距離輸送でもない限りはなかなか越えないと思う。

もやもやした思いを抱きつつ、これまで以上に車代をプラスしてお願いしたいと思うので、検討して欲しいと連絡したが、いつもの運転手の予定があいてないので無理とのことだった。

8月9月10月と毎月訪れていて、その度に往復4時間かけて迎えに来てもらっているが、それが大変だということだろうと理解した。断る理由は、断る理由として気を遣ってくれたのだろうとの理解である。

結局、今回は前に付き合いのあった都市部のドライバーにお願いして連れて行ってもらうことにしたが、結果的には、以前より安い金額で移動できることになった。

最初から彼にお願いして契約的な関係の中で行けばいいとも言えるが、それが本当にいいのかどうかは、よくわからない。

結局、包んでいるお礼の額は、食事や移動など、他のチームが支払っている額より多い額であるし、契約的な関係でないため、思い通りにいかないことがままある。

彼らはアルコールとともに食事を楽しむということをしない。食事は食事、アルコールはアルコールである。個人的には自分で購入してきてビールやら地酒やらを食事の際に飲みたいが、彼らと違う行動を少なくともこのムラではとりたくないので、ぐっと我慢している。

地酒も好きに飲めるわけではなく、彼らに飲ませてもらうものであるので、彼らが飲むかと言ってくれるのを待たなければならない。自分で買ってくることは可能であるが、ご馳走になる関係を選択している。

まあ、ここぐらいまではそれほど問題ないのであるが、夜な夜な一人で出歩けないのは問題である。ムラ中友達なので、毎日毎日違う家に行って飲みながら語り合いたいぐらいだが、泊まっている家の親族たちは、いつも食後の飲みの時間を一緒に過ごしてくれるので、その期待を裏切るわけにはいかず、いつも家で飲んでいる。

一緒に過ごしたくて過ごしているのか、一緒に過ごさないといけないと思って過ごしているのかはよくわからない。ただ、かつて他所で飲んでいたら、電話がかかってきて呼び戻されたことがある。誰それと仲良くするなと言われたこともあるようなないような気もする。

しがらみの世界である。

祭司長と地区長という言葉を先に使ったが、リーダーは2人いる。別の言い方をすればコミュニティは2つあるとも言えるかもしれない。行政的な組織と、慣習法にもとづく組織である。祭司長はムラの伝統を守り儀礼等を統括する存在である。一方、地区長は行政的な組織構造の中で地区を統括する存在である。

私が前の祭司長とのつながりの中でここにいることが、信頼関係を作り出し、地区長との関わりの中で様々なプロジェクトを生み出しているとも言えるが、私はしがらみの中で常にストレスを抱えている。

9月に訪問した時は、お祭り用の衣装一式を貸してもらったり、地酒を飲んだり、庭になってる果物を食べたり、帰りにサンバルをお土産でもらったりと親戚のように接してもらえている。

その関係の中でしか見えない何かを見出すことができればいいと思っているが、その何かが何なのかは、未だわからずにいる。241024

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