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建築家エコ・プラウォト氏によるジャワ島中部地震の震災復興コアハウス

ジョグジャカルタのギビカンngibikan村の災害復興コアハウス。うちの家主のアグンさんの論文を読んでみた。

これをコアハウスと言っていいのか、わからないが、論文中ではコアハウスと位置づけられているので、その文脈で紹介してみたい。


プロジェクトの概要

2006年5月27日に発生したジャワ島中部地震の復興プロジェクトである。インドネシアのメディア「コンパス」の人道支援基金によって実現したものである。

地震発生直後からプロジェクトが立ち上がり、4ヶ月で集落内の被災住居65戸の再建を完成している。

コミュニティ・リーダー(RT5)は以前からの友人であった建築家エコ・プラウォトEko Prawoto氏と連絡を取り合い、地震の翌日にはエコは支援物資を持って現地を訪れている。

住民は、5月31日には自らで瓦礫の撤去を始め、6月3日には、エコの提案によるプロトタイプを建設することが住民と合意された。6月5日にはゴトンロヨン(相互扶助、ジャワ語でサンバタン)で建てることが決まり、6月12日には3棟の木造の構造フレームが再建され、完成を祝すとともに今後の建設の安全を祈念する儀礼が行われた。

一方、インドネシア最大の新聞社であるコンパスは、自社が支援可能な被災地支援の方法について、地元の建築専門家であるエコに相談する機会があり、その縁もあってか、コンパスから建設資金を確保することが可能となったという。

その後、建築資材の選択、建物の空間構成、補助金の分配など、コンパス・建築家チーム・住民とで調整を繰り返しつつ、並行してゴトンロヨンによる建設も継続され、9月には65棟が完成している。総額55,000ドルだという。

建築提案

基本ユニットの断面図並びに平面図

提案された建築は、カンポンという一般的な屋根型を元にしたものである。幅6m、奥行き7.2mのプランが基本で、柱・屋根の位置に沿って、全体は3つに分割される。

屋根の小屋組はやや複雑だが、比較的入手のしやすいヤシの木を用い、断面寸法を3種類に限定し、相互にボルトで接合する形式とし、簡易な施工を可能にするものにしている。

住居は、従前の基礎の上に建てられるという。柱の接合の仕方が論文からははっきりしないが、RCの基礎とあるが、礎石を設け鉄筋か何かを介して緊結するのだろうか。

論文では、イカプトラ先生の論文も引きながら、コアハウスと位置付けているが、コアハウスというには規模が大きすぎる。ただ政府の支援が始まるまでに、4ヶ月で各住戸に屋根を確保できたのは意義深い。

右側に深い軒の出を確保して、日陰のテラスとして利用。手前左側にも屋根を設けて駐輪場を確保。洗濯物干し場もいい感じ。Gambar diambil Aug. 2022 @2024 Google
バナナの木の影になって見えにくいが、左側にも妻面をこちらに向ける供給住宅がある。右側の住宅は妻面に庇と柱で立派なテラスが作られている。Gambar diambil Aug. 2022 @2024 Google
道路に面して深い庇を新たに設けて、テラス的な空間を確保。出入り口は妻面のここのみ。Gambar diambil Aug. 2022 @2024 Google
田んぼ側にテラスを確保。左奥にも供給住宅。Gambar diambil Aug. 2022 @2024 Google
右側に倉庫を隣接させる。この入り口はおそらく裏口だろうか。居場所としては使われてない。Gambar diambil Aug. 2022 @2024 Google
前面にテラス。隣に後々建てられた家が連なり、通りを形成。突き当たりに妻面を見せるのも供給住宅。通りに溶け込んでいる。Gambar diambil Aug. 2022 @2024 Google

プロジェクトの特徴

以上、このプロジェクトの概要説明を行ったが、以下の7点が特徴として挙げられる。
1.従前の敷地利用により、土地利用の変更を強いない
2.構造強度を確保しつつ、施工のしやすさも確保
3.ゴトンロヨン(相互扶助)によるコミュニティ・エンパワメント
4.木造を採用することで木造建築の知識の継承
5.地元の景観に適合しやすい一般的な屋根型
6.フレキシブルな間取りを可能にするプラン
7.背の高い屋根が、逆境からの再起の象徴となる

一般的なカンポンスタイルの屋根にするのは良いが、中央の急勾配の屋根は、デザイン的な意図が強く、復興の現場で適用されるデザインとして適切かどうかは議論のあるところだと思う。

ただ、実際に写真で確認すると、確かに、この急勾配の屋根が集落に建ち並ぶ景観には、何かしらの力を感じる。

このプロジェクトは、イスラーム世界で最も権威のある建築賞であるアガカーン建築賞(2008-2010)にノミネートされている。

残念ながら受賞は逃したようであるが、建築のあるべき姿を教えてくれるプロジェクトだと思う。

住まい方の実態

横に連結する基本ユニット。妻面が続く(論文から)

さて、調査内容に入ろう。論文では、45戸のデータを元に分析がされている。2011年の調査である。つまり、5年後の実態を把握するものである。

6m×7.2mの基本ユニットにRCの、山型の妻面が3つあるいは2つ連なるように横につながっていくケースや、妻面どおしを向かい合わせながら縦につなげていくケース、基本ユニットに、提供される材を用いながら、簡易的な構法の屋根を付設するケースが紹介されている。

縦に基本ユニットが連なる。着色部分は上と下の2つに分かれる。上側の住居には前面にテラスが設けられると共に、右側に店舗が作られ、その後ろに新しく作られた個室(寝室)が並ぶ。下側の住居は、右側に入り口テラスが作られ、下側にキッチンやトイレが付設されているのがわかる。

連結するケースは、いずれも再建時の状態がそうであったということであろう。もともと共同住宅の形式で住んでいたり、親族で隣り合わせで住んでいたりした場合は、敷地の制約もあり、そのまま共に住む選択がされている。

ただ5年の変化としては、基本ユニットに付設するかたちで、店舗棟が建てられ、通りに面して店舗を営業しつつ、倉庫や寝室の増築に対応していたり、前面テラスや後方にキッチンやトイレの増築が確認される。

基本ユニットの存続の割合ははっきりしないが、緊急的に付与されたものでありながらも、構造的にも十分な住居はその後もメインの居住空間として継続して使われている実態がみて取れる。

被災地のいま

ジャワ島中部地震が2006年、調査が2011年である。今は2024年。すでに地震から18年が経っている。

災害に遭うと地域は変化を余儀なくされる。災害後の心理的な変化を、衝撃、反動、幻滅、回復、安定と表すとすると、地震並びに地震によるほとんどの住居の崩壊という「衝撃」を経験した地域は、今回みたような「反動」を経験する。

衝撃による多大なマイナスを回復するために、知恵やネットワークの活用や献身的な努力を通じて、それまでこと異なる復興時期特有の興奮状態におちいる。

その後、新しい住居での生活が始まるとともに、政府からの支援も提供され、当初の熱量は失われ、冷静になって地域の復興状態を捉え直す「幻滅」の時期に入る。興奮状態で見えなかった様々な軋轢や課題が明らかになる時期である。

その後は、「回復」のフェーズに入るが、2011年の調査はその頃の調査であろうか。基本的には、被災後提供された住宅を基盤に安定的な生活が行われていた時期であろう。

すでに18年経つと、「安定」期も何もないと思われるが、建築の場合、面白いのは、建物が目にみえて残ってしまうことである。

いま、Google Earthでざっとみてみると、40棟弱は18年前の供給住居を見ることができた。急勾配の屋根を中央にもつ切妻形式の屋根は、航空写真からでも判別可能である。

65棟のうち40棟である。結構な数である。もちろん、それ以外の建物の方が多い。その後新しく建てられた建物に紛れながら、昨年9月13日に65歳の若さで亡くなった建築家の住宅群が様々なかたちで生き延びている。

あるものは、今もなお生活の中心として活用されているだろう。あるものは、倉庫として使われているかもしれない。あるものは空き家となって打ち捨てられているかもしれない。

災害から20年経とうとしている今、地域は災害の記憶を失っているだろう。その中で、生き続ける建築たち。災害の衝撃の「反動」として建てられた建築は、復興の記憶を内包しながら、いまそこにある。241124

https://www.researchgate.net/publication/317732437_Ngibikan_Village_Spirituality_Design_in_Javanese_Architecture


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