ワヤン・カーニバルに祇園祭を想う
10月7日にWayang Jogja Night Carnival(WJNC)が開催された。ジョグジャカルタ市の創立を祝って行われる毎年恒例のイベントで、今回が9回目だという。市は、創立268年を迎えるという。
今年が2024年なので、268を引くと1756年ということになる。16世紀から続くイスラーム・マタラム王国は17世紀終わりから混乱を繰り返し、18世紀半ばに分裂してスラカルタとジョグジャカルタにそれぞれ王家を構えることになるが、ジョグジャカルタに王宮がつくられたのが、1756年の10月7日である。
WJNCはワヤン・ジョグジャ・ナイト・カーニバルの略であるが、その名の通りワヤンによるジョグジャの夜のカーニバルである。ジョグジャカルタ市の14の地区(クマントレンkemantren)それぞれが用意したワヤンが夜の町を巡るのである。
ワヤンというと影絵のワヤンを想起するかもしれない。実際、私も影絵でもするのかと思っていたのであるが、必ずしも影絵のものだけがワヤンではない。人間が演じるワヤンもあれば、今回のように巨大人形によって表現されるワヤンもある。
今回は、高さ3mを超えるような巨大な人形を、山車の形式で人々が引いたり、神輿のような形式で人々が担いだりしながら、ジョグジャカルタ市の中心部北側にあるトゥグ・ジョグジャの周りでパフォーマンスを行うものである。
トゥグ・ジョグジャは、高さ25mの記念碑で、ハメンクブウォノ1世によって1757年に建てられたものである。オランダ植民地主義と戦う住民の象徴として建てられたという。
今回のテーマは、Gatotkaca Wirajayaだという。テーマが設定され、それに従って各地区が人形を用意する形式である。
ガトカチャはマハーバーラタのキャラクターである。カーニバルに先立っての説明では、このカーニバルはガトカチャの生涯、誕生から死までの旅路を示すものであるという。
ガトカチャは人気のキャラクターらしく、調べてみると子ども向けのガトカチャの物語もネット上でみることができる。忠誠心、勇気、国を愛し奉仕する情熱に満ちた騎士として知られているという。今回のカーニバルは、そうしたガトカチャの精神を再認識する機会でもあると当日アナウンスがあった。
それぞれの地区(クマントレン)ごとにテーマが決められている。情報として挙げておく。
Kemantren Tegalrejoは、Gatotkaca Lahir,
Kemantren Umbulharjoは、Gatotkaca Ratu,
Kemantren Ngampilanは、Pergiwa Pergiwati,
ここまでが前半のグループ。
Kemantren Wirobrajanは、Gatotkaca Sraya,
Kemantren Kratonは、Gatotkaca Rante,
Kemantren Gondomananは、Aji Narantaka,
Kemantren Jetisは、Topeng Waja,
Kemantren Gondokusumanは、Phutut Guritna,
Kemantren Danurejanは、Bathara Gana,
ここまでが中盤で、最後が以下のグループである。
Kemantren Mergangsanは、Gatotkaca Gendaga,
Kemantren Pakualamanは、Kikis Tunggarana,
Kemantren Gedongtengenは、Sembadra Larung,
Kemantren Kotagedeは、Jaya Lelana
Kemantren Mantrijeronは、Gatotkaca Gugur.
それぞれの地区から50人程度が参加するというが、見た感じではもっと多いのではないか。マハーバーラタの世界を体現するために、地区の参加者それぞれが伝統衣装に身を包み行列に参加している。
単なるお祭りのようであるが、年に一度、ジョグジャカルタ市中心部の14すべての地区の住民が参加して山車や神輿を出す形式は、京都の祇園祭のようでもある。
祇園祭については、大学院生の時に、祭りを支えるコミュニティや祭りとまちの関係について調査のお手伝いをしたことがある。京都の中心部の山鉾町と言われるエリアで、祭りを維持している。まちを練り歩く山や鉾を巡って、巡行の当日だけでなく、その前後1ヶ月を中心に様々な行事が行われる。様々な問題を抱えながらも、年に1度の祭礼行事が、地区レベルで京都の伝統を後世につないでいくものとなっている。
祇園祭は、いつを始まりとするかは、いろいろあるが、疫病退散のための御霊会が863年以降、山鉾の巡行が14世紀から15世紀ごろにその原型ができて、応仁の乱以降の1500年に祇園会が再興されたとのことなので、まちが主体となった祭りの形式は500年程度の歴史であろうか。
ジョグジャの姉妹都市でもある京都。相互の共通点を発見したカーニバルであった。京都の祇園祭とは異なる、まちの祭りの継承の知恵がジョグジャのカーニバルの中に見出せるのではないかと思っている。241010