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学科の図書館が果たすべき役割は?

朝から大学へ。研究室もだいぶ整ってきた。院生との打ち合わせはミーティングスペースで行うようだ。今日は午後からアトマジャヤ大学の語学センターに行く予定なので、事務のウティさんと少しやり取りしつつ、図書館を訪れた。1時間弱しかいなかったので、あまり全体を見きれてないが、図書館の司書というか事務員と話をした感じだと、図書館システムは致命的だ。

図書館の重要な役割は、知の全体像の提示だと思う。建築学科の図書であれば、建築というジャンルの全体像を示すことが必要である。設計、歴史、計画、環境、設備、材料、生産、構造、施工といったジャンルの広がりを示すことと、過去から現在に至るまで、それそれの時代でのその分野の動きを伝え、その変化を確認できることが必要ではないかと思う。

例えば、今日、手にした本に日本の住宅に関する本があったが、ちゃんと確かめなかったが50年ぐらい前の本であった。たまたまそこにそれしかなかっただけかもしれないが、日本の住宅がこんなもの1冊で語られたらたまったものじゃないと感じた。1970年台の住宅と現在の日本の住宅は、ある意味、まったく別のものである。今に対する理解を促進するために、今の書籍が置かれるべきであるし、この50年間の変化を感じられるように、この間のそれぞれの時期での日本の住宅事情がわかる書籍が必要だと思う。

古いと言ってもその程度だが、やたらと50年ぐらい前の本が多く、開架に置かれている本は多くがそうであったように思う。その時は気づかなかったが、建築学科ができたのが1962年で、1964年までUCLAのサポートがあったとのことなので、その時点で購入された書籍であろうか。逆にそれ以降は、継続的に組織的に書籍がストックされている様子はない。

図書館はこの中庭に面してある

図書館には蔵書をネット検索できる仕組みがあるが、そこで対応してくれた人に何を調べたいんだと聞かれて、特に何をというわけではなかったが、思いつきでマングンウィジャヤの名前で調べてもらったが、出て来たのは1冊だけであった。それも、彼の代表的な著作である(と思っている)Wastu Citraではなく、作品解説のような小冊子であった。

彼は1967年から1980年まで13年間UGMの建築学科で特別講師を務めたとのことなので、インドネシアでマングンウィジャヤの書籍のストックを揃える責任がこの大学の図書館にはあると思うが、それがたったの1冊である。

関連して、大学の図書館が果たすべき役割の一つに、その大学に生み出した知のストックを整理し発信する役割があると思う。そういう意味では、マングンウィジャヤだけでなく、歴代の建築学科の講師陣の著作や報告書などのアーカイブを作成することは重要だと思うが、今日はそのような話は聞くことができなかった。

インドネシアでもカンボジアでも、実物の書籍をストックするという意味では大学の図書館はかなり心許なかったが、オンラインでのデジタルデータのストックには可能性があるのではないかと思う。実質的にお金をかけずに人的な働きかけでできる可能性が大きいからである。ただオンラインとかデジタルとかによるアーカイブ作成を実現させるには、それが図書館の社会的責務としてあるという認識が根底になくてはならない。そういう意味では、少なくとも今日は、希望を感じることはできなかった。

実際、建築学科の図書館があるだけでも、素晴らしいことかもしれない。しかし、全体の資金とマンパワーを考えると、どちらかというと、学科の図書館は潰して、大学全体に統合して、そこにお金と知恵を全力投入する方が、社会的責務に少しでも近づけるような気がする。240924

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