ジャワの生け花
今日はCafe Tugu Lorへ、フラワーアレンジメントの展示を見に訪れた。初めて訪れたカフェであるが、素敵な空間であった。もともと1974年からのホテルを、ホテルとして一部を残しつつ、自然豊かな中庭空間を活かしたカフェやギャラリーとして活用している建物である。3つのイベントが同時に開催されている。トゥバンのバティックの販売とフラワーアレンジメントの展示と、中庭でのマルシェである。
このエリアは、ジュティス地区と呼ばれる地区でスルタン・ハメンク・ブワナ 7 世の時代に発展したオランダ人居住区である。きっかけは1903年のバタビア中央政府から出された地方分権法である。その発布をもとに、地方政府は、それまで9つだった居住区だと狭すぎるとして、1つの居住区を加える決定をしている。それがこのカフェのあるジュティス地区である。
この建物は、もともとイギリス人画家の住居で 1920 年頃に建てられたものである。バンガローの形式の英国植民地時代の建築の特徴を示している。 1930 年代に、この家はオランダから帰国したオエミ・サラマー・プラウィロ・ネゴロ夫人によって購入されている。彼女はピアノ教師であり、かつジョグジャカルタのファッション界の先駆者の一人だった。彼女は、音楽家・ピアノ教師であり、定期的にコンサートを開催するとともに、ファッションショーも開催していた。コンサートの開催は、後にアマチュア音楽協会の結成につながり、後々インドネシア音楽学校の誕生につながる。その後1952年に学校は移転するが、ガジャマダ大学の学生寮としての期間を経て、1974年にホテルが開業される。ムストコウェニホテルである。ムストコウェニという名称は、1930年に噴火したムラピ山の犠牲者のための募金を集めるためにオランダで開催されたダンス公演で彼女が演じたキャラクターの名前から取られた。
この建物は、材料、家具、装飾、基準寸法、寄棟屋根や通風窓、正面の支柱など、オランダ植民地時代のジャワの熱帯気候の影響を受けたコロニアル建築様式の特徴を有しており、2021年に文化遺産として指定されている。
フラワーアレンジメント自体は、伝統的なものというよりは、新たに考案されたものであり、今回の展示は、始まったばかりの講座の1期生の作品展であった。日本の生け花に着想を得たとのことであったが、その意匠からは、バリのプンジョールpenjorあるいはウンブル・ウンブルumbul-umbulが想起された。ココナッツの葉を用いて作られる装飾である。よく知られるのはバリのものらしいが、バリだけにしかないわけではなくジャワにも見ることができるという。バリのプンジョールはバリ・ヒンドゥーとの関係で語られるが、ジャワにもみられるということであれば、マジャパイトの残滓かクジャウェン的なものであろうか。ざっと調べてみたが、はっきりしなかった。これも宿題にしたい(宿題が多い笑)。
生け花と言われていたが、日本の生け花の美しさとは求める方向性は異なるものだと感じた。日本の美しさの感覚とジャワの美しさの感覚がそもそも同じわけがないが、ジャワ的な美的感覚が、花を生けるという行為を通じて、どのような美しさを導き出すのかは非常に興味のあるところである。240928
https://doi.org/10.37905/jhcj.v5i1.24226