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勉強してみたらプランバナン遺跡がとても面白いことに気がついた

先日、プランバナン遺跡に行ってきた。市内からバスで行くことができる。1時間程度である。プランバナンだけに行くのであれば、バスで往復するのがリーズナブルである。乗り換えが必要であるが、片道3600ルピア(36円)で行くことができる。

ボロブドゥールは、上にあがるのには予約が必要なので、今回はプランバナンにしてみた。過去に何度か行ったことがあるが、今回は滞在時間を少し延ばして、エリア内の他の遺跡にも行ってきた。

相変わらずの不勉強で行ってしまったが、エリア内にあるいくつかの遺跡を見る中で好奇心が掻き立てられたので、改めて論文を何本か読んでみた。早稲田出身の小野先生の研究蓄積をもとに自分なりに整理してみた。


0.はじめに

プランバナン行きのバスの終点で降りて、10分程度歩くとプランバナン遺跡につく。プランバナンは、このエリアの地名である。

プランバナン遺跡として我々が真っ先に思い浮かぶ遺跡は、正式にはチャンディ・ロロ・ジョグランと呼ばれる。エリア内には、南から順にチャンディ・ルンブン、チャンディ・ブブラ、チャンディ・セウがある。少し北東に足を延ばすとチャンディ・プラオサンがある。

ロロ・ジョグランはヒンドゥー教寺院であるが、その他は仏教寺院である。一箇所でヒンドゥー教ならびに仏教の寺院が共に見られ、比較できる点が面白い。

1.チャンディ・セウ

ロロ・ジョグランから1km程北に行ったところにあるのが、チャンディ・セウである。歩いてでも行けるが、自転車やスクーターの貸し出しがあり、お金を払えば快適に移動することもできる。

これまで行ったことがなかったが、今回せっかくなので行ってみることにした。30分で400円で自転車を借りた。

チャンディ・セウの創建年代は明らかでないが、近くから発見された刻文に782年に文珠師利の像が奉献されたとの記述があり、それをチャンディ・セウとする説がある。日本でいうと、奈良の平城京から京都の平安京へ遷都するあたりであろうか。

(1)金剛界曼荼羅のコスモロジー

中央に十字型平面を持つ主祠堂が東に向かって建ち、それを取り囲むように3列の240基の小祠堂群が配置されている。2列目と3列目との間には向かい合わせて2基ずつ並ぶ小祠堂が東西南北で8基配置されている。

正面入り口は東である。東の入り口には、2体のドヴァーラ・パーラ像が配置されている。近年修復がすんだばかりなのか、きれいな像である。

全体の構成を詳しく見てみよう。第1列は8基×8基の構成で、東西を向くもの8基、南北を向くもの6基の合計28基が配置される。第2列は12基×12基であり、東西を向くもの12基、南北を向くもの10基の合計44基、第3列は、内外の2列で構成されており、内側は22基×20基の構成で、東西を向くもの22基、南北を向くもの18基の合計80基、外側は24基×22基の構成で、東西を向くもの24基、南北を向くもの20基の合計88基、第3列は内外あわせて168基が並ぶ。

背中合わせの仏像。手前は東向き、奥は西向き。それぞれで手のかたち(印相)が違うはず。

配置図をみると、主祠堂を中心とした四方対称の曼荼羅のようである。実際、小祠堂に配置されていた仏像を調べると、小祠堂の面する方位に応じて、東面に触地印如来、南面に与願印如来、西面に定印如来、北面に施無畏印如来が配置される傾向があり、ボロブドゥールの仏像配置とも共通する構成で、金剛界曼荼羅の四方仏の印相と一致するという。

今回は予備知識なく行ってしまったので、取ってつけたように置かれる仏像自体に違和感をおぼえ、仏像の手のかたち(印相)までまったく気が回らなかったが、次回行く時は、それぞれの仏像の印相を確認してみよう。

文献では、方位によって異なる印相の如来像が配置される「傾向」があるとあった。どの程度、印相が合致するのか自分の目で確認してみたい。

主祠堂と金剛界曼荼羅との関係
F.D.K. Boschの論文に記載の曼荼羅図を記載したデュマルセの論文から

十字型平面の主祠堂と金剛界曼荼羅との関連を指摘する論考もある。

金剛界曼荼羅のコスモロジーを体現したものとしてチャンディ・セウを理解することができる。

(2)前衛寺院 チャンディ・ブブラ

チャンディ・セウの南200mの位置に主祠堂1基のみからなる寺院がある。今回、時間の関係でパスしてしまったのだが、この寺院はセウとの関係から、非常に興味深い寺院であった。

チャンディ・セウの前衛寺院(vanguard temple)だという。

前衛寺院の定義がわからないが、寺院の中心エリアから少し離れた位置にありながらも、その寺院と関連づけられ、外部から到来する人や気から寺院を守るために存在する寺院という位置づけだろうか。

チャンディ・セウ。東にチャンディ・アス。南にチャンディブブラ@google
Citra@2024 Airbus.Maxer Technologies Data peta@2024

チャンディ・セウの東方およそ300mの地点にチャンディ・アスゥが確認できる。記録によると、北方およそ250mの地点にチャンディ・ロルの跡が残っており、西方には今はぼぼ消失したチャンディ・クロンがあったという。

これら4つの寺院がチャンディ・セウの四方を守護する寺院として機能していたとされている。

チャンディ・セウの主祠堂の曼荼羅的構成、並びに小祠堂に設置される仏像の配置にみる曼荼羅的構成に輪をかけて、四方を守護する寺院の配置構成を持つことで、チャンディ・セウの曼荼羅世界がより強固に表されているのを感じることができる。

2.チャンディ・ロロ・ジョグラン

プランバナン遺跡群の中心をなすヒンドゥー教寺院である。

最も目立つのは、シヴァ(中央)、ヴィシュヌ(北)、ブラフマー(南)の3神に捧げられた東に向いて建つ主祠堂と、それぞれに向かい合わせて建つ副祠堂である。南北に内向きに建つ祠堂も配置されている。あわせて、わかりにくいが、東西南北の各辺の中心並びに角に建つ小祠堂が8つ配置されている。

以上が内苑であるが、その外に、それぞれ44基、52基、60基、68基と合計224基の小祠堂が並べられている。現在は、ほとんどが崩壊したままの状態で放置されている。

ここを訪れるとシヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーの主祠堂の迫力に感嘆して何かを見たような気になるが、ここでも配置構成にその魅力が隠されている。

(1)インドの建築書「マヤマタ」と神々の配置

「マヤマタ」に記載されるスタンディラの配置パターン

一つは神々の配置である。中央の主祠堂は、シヴァを中心に据えつつ、後房にはシヴァの子ガネーシャ、北側の側房にはシヴァの妃ドゥルガー、南側の側房には尊師の姿として現れたシヴァであるアガスティアが配置されている。

シヴァ神

チャンディ・シヴァの正面に置かれた門の両脇には、2基のチャンディ型の小建築が設けられており、向かって左側の小建築の内部には、シヴァの憤怒の相を表したマハーカーラの像が、また右側の小建築の内部には、シヴァの変化相の一つであるナンディケーシュヴァラの像が安置されている。

チャンディ・シヴァの正面に正対して配置された副祠堂には、シヴァの乗り物であるナンディンの像が安置されている。

これらの配置は、南インドを代表する建築書の一つである「マヤマタ」のスタンディラの配置パターンに近いことが指摘されている。そこでは、本尊のシヴァに従属する神々を祀る祠堂の配列について記載されており、完全に合致するわけではないが、シヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマーの配置をはじめ、側房や門の両脇の建築、対面する副祠堂の神々の配置が合致している。

(2)ヴァーストゥ・プルシャ・マンダラとずらしの手法


チャンディ・ロロ・ジョグラン配置図。配置が北に微妙にズレている。

チャンディ・ロロ・ジョグランは、チャンディ・シヴァを中心に線対称の構成になっているように思えるが、平面図をよくみると、若干のズレがあるという。

ずらしの手法は、日本にも多くみられるもので、左右対称といった力強い構成を嫌う感性は日本では一般的であるが、ここでみられるズレは、そういうのとは少し違うようである。

ざっくりといえば、日本の場合は、豊かな自然との調和を建築に求めるため、建築自体のかたちの構成が強くなるのを避ける傾向がある。意識的に左右のかたちを変えたり、軸線をずらしたりすることが多い。

ここでの話は、建築物の構成の力強さは保ちつつ、図像上の操作を加えるという感じであろうか。

インドの建築のベースとなるヴァーストゥ・プルシャ・マンダラにおいては、土地の精霊を象徴した人体を敷地にあてがい、それぞれの場所の意味づけが行われるが、その際、身体の脆弱な部分に対応して、そこを急所とし、急所を避けて建築が行われるという。

その際、図像上の操作で、対角線の交点を急所として設定するという。となると正方形をはじめ矩形の中心点は急所として認識されることとなり、そこを避けるかたちで建築が行われることになる。

ブラフマ神

また、マンダラの中心はブラフマの場所として設定されるが、シヴァを中心に据えるこの建築では、建物が全体的に北側にずれることによって、建物の中心のシヴァから南に少しずれてブラフマの点が置かれることになり、南側に配置される主祠堂であるブラフマとの整合性がとれ、中心祠堂のシヴァとマンダラの中心のブラフマとが、理論上両立することになるという。

私の理解が間違っているかもしれないが、限られた時間の中で頑張って読んでそう理解した。

次回、プランバナンに訪れる時は、そのズレに思いを馳せて再度考えてみたい。

(3)ジャワの方位観とチャンディ

第3点目は、ジャワの方位観とチャンディの関係である。

古代ジャワの仏教信仰の内容と実態を示す説話として「クンジャラカルナ」があり、そこでは聖なる山メール山の中央にシヴァ、南にブラフマー、北にヴィシュヌが住んでいることが示されている。

また、インド起源の「マハーバーラタ」のジャワ人による続編とされる散文詩として「コラワスラマ」があるが、そこでも、シヴァを中心としながら、ヴィシュヌとブラフマーも含め、八方位を神々が司るイメージが語られている。

また、シヴァを祀る主祠堂の浮彫りパネルの配置は、八方位の神々の存在に対応したものとされる。

このように、神々の世界が方位とともに語られるが、一方で、チャンディ・ロロジョグランの内苑の外周をみると、パトック祠堂、クリル祠堂と呼ばれる小祠が8つ配置されており、それぞれの方位に対する神々の守護と捉えることができるのではないか。

3.ヒンドゥー教寺院と仏教寺院

プランバナン遺跡では、ヒンドゥー教寺院と仏教寺院をともに味わうことができる。

中心性の強い四方対称の配置をもち、金剛界曼荼羅の写しとして見立てられるチャンディ・セウと、インドの建築書・建築術、ジャワの方位観の表れを見ることができるチャンディ・ロロ・ジョグラン。

一つ一つの建築物だけでなく、その配置に着目するとともに、建物の建つ内苑だけでなくその周囲の崩れ落ちた祠堂たちの建ち並ぶ姿を想像しつつ、全体を眺めると、これまでとは違った寺院の空間を味わうことができると思う。241113(241107訪問)

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