朝から体操が道路を占拠して通れません
日曜日の朝市に行こうと、カンポンの中を歩いていた。家の前の通りは、一日中バイクやら車やらの音で騒がしいのであるが、カンポンの中に入ると静かになる。家の西側に広がるカンポンの道は、4m程度の幅員の道が多い。車はカンポンの中には入ってこないので、車が通ることはほとんどないは、バイクは頻繁に通り抜ける。バイクに注意しながら、軒先の豊かな緑やたたずむ猫たちを見ながら歩いていた。
10分ぐらい歩いた頃だろうか、道いっぱいに棒が渡してあり、通行止めになっていた。そこは三叉路になっているので、右に迂回すれば朝市に行けるのだが、明らかに遠回りである。バイクはまっすぐ抜けようとやってくるが、標識を見てどんどん右に迂回していく。この通行止めは人にも適用されるものかどうかと困惑しながら、先を見ると、踊っている人たちがいた。
お、SKJか。Senam Kesegaran Jasmaniである。Senamは体操、Kesagaranは元気、Jasmaniは身体的を意味する。英語だと、SKJはPhysical Fitness Exerciseと訳される。フィジカルフィットネス体操である。
日曜日に朝早くまちを歩くと、しばしば目にする。これまで目にしたのはコンビニやスーパーの前で、店舗のオープン前、あるいは来客が増える前に、駐車場スペースを使ったりして、店員や周辺の人たちが集まって、先生を中心に皆が体操をする光景である。
これは日本のラジオ体操を起源とするものだと勝手に思っていたが、調べてもそうした記述はでてこない。1970年代の後半に小学校で学童を対象に行われていたSPI(Senam Pagi Indonesia:インドネシア朝の体操)を、青少年スポーツ省が一般向けに改変し普及するよう指示したもので、1984年から普及し始めたものだとのことである。
基本的には、ウォームアップ、コア、クールダウンの構成で、身体の様々な筋肉を活性化させながら有酸素運動の要素を取り入れつつ、1984年バージョンをかわきりにSKJ'88、SKJ'92、SKJ’96と4年ごとに改訂を繰り返しながら、インドネシア各地のコミュニティに広がっている。
なかなかSKJのイメージが掴みにくいと思うのでYouTubeから一つだけSKJを探してきた。今回のとは異なるがイメージはわかると思う。
で、今回の出来事である。参加者は黄色の服に身を包み、真ん中の高台の上で踊る先生に従って、みんな一緒に踊っている。いや、踊りではない。体操である。それだけリズミカルであるということだ。
インドネシア人は、おそろいが好きである。みんな一緒にユニフォームを着て行動することが多い。一体感とかみんなと一緒な感覚が楽しいのか、小中高の学生だけでなく大学生もユニフォームを着て学外の実習をしているのを目にする。
私の感覚だと、無駄にお金がかかる、一緒であることを強いられているのが嫌、周りから特別に見られるのが恥ずかしいといったネガティブな評価を日本人は抱きがちではないかと思うが、そうではないようだ。
何よりも、今回驚いたのは、こうしたいわば私的な道路利用が、皆に許容されているという事実である。地域の体操好きが集まって道路を占拠して体操をしているだけである。それなのに、道路区間の両側の入り口に通行止めの表示を置いて自分たちの場として活用する。素敵である。
私的な道路利用といったが、おそらくは地域内では皆のコンセンサスはとられているのであろう。警察なのか市役所なのかにまで届出をしているとは思えないが、国あげての健康プロジェクトであるSKJだけに地域外の人にも許容されているのだと思われる。
許可とか合意とか行政との関係や先生のフィーをどう捻出しているかなど、また誰かに聞いてみよう。コミュニティのありようを知る上で重要な情報だと思う。
さて、ラジオ体操とは関係ないと書いたが、調べてみると、そうでもなかった。SKJの前身はSPI(インドネシア朝の体操)である。1970年代後半にSPIは登場するが、それは1975年のスハルトの国政演説が元になっている。翌年の76年に政府はSPIガイドラインを発行するのであるが、その中でSPIはインドネシア武道シカラットと日本によるインドネシア占領時代並びにその後の日本で行われていた朝の体操(ラジオ体操)を元にすることが書かれている。
1942年から1945年までが日本によるインドネシア統治時代であるが、その間に各地でラジオ体操が導入された。いわば植民地支配の時期に導入されたラジオ体操が、1970年代後半のSP Iを通じてよみがえり、その後、改訂・バージョンアップが図られたが、SPIを元にしたSKJによって、細々とであるが脈々と受け継がれているのである。
日本ではラジオ体操はもう風前の灯火である。うるさくて近所迷惑、地域で管理しきれないなどの理由からだそうだが、コミュニティの崩壊した日本では失われるのは時間の問題であろう。
SKJに参加してラジオ体操とコミュニティについて想いを馳せたい。241009