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スラカルタの都市遺産を巡る日帰り旅行
今日は日帰りでスラカルタ旅行。まともに計画を立てることもなく、勢いで行ってきた。KAIで片道1時間8000ルピア(80円)の旅である。
7時に家を出て、19時に帰ってきた。チャンディ・セトなどの寺院群に行くことも検討したが、遠く離れているので今回は諦めて、カウマン地区、スラカルタ王宮、グデ市場、ラウェヤン地区の4箇所に行ってきた。
時間的にはもう少し回れたと思うが、昼過ぎから大雨が降って、市場で足止めされたので、時間をロスしてしまった。ただ、暑かったり移動の要領を得なかったりで、疲れてもいたので、この程度が適度な内容だと思う。
時間的、体力的に余裕があれば、マンクヌガラン王宮とシェイク・ザイード大モスクを見に行く予定であった。
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まず、到着してすぐグラブでカウマンまで向かう。ジョグジャカルタとスラカルタは、王宮、アルンアルン、モスク、カウマン等の配置に関する都市計画がほぼ同じである。
王宮広場であるアルンアルンを南北に2箇所配置し、その間に王宮を設け、北のアルンアルンの西に大モスクを設置し、その周りにイスラームの聖職者たちが住むカウマン地区をおいている。
カウマン地区は、街区のかたちもほぼ同じかたちをしていると聞いていたが、今回それを確認することができた。
ただ、まちの雰囲気は両者で大きく異なっており、ジョグジャのカウマンは、その地にあったバティック関連の企業が倒産するなどしたため、現在ほとんどバティックの存在を確認することができないが、スラカルタのカウマンには、現在もバティックの店舗も多く、それと相まって、観光客を惹きつけるような仕掛けが地区内の何箇所かにみられ、若者を中心に写真を撮りながら散策する場所となっている。
ジョグジャのカウマンは、イスラームと強く結びつきながら、落ち着いた居住地となっている。どちらが良いとか悪いとかはないが、それぞれが特徴を持ちながら住民主体のまちづくりが持続的に行われていく姿が、いずれの場合も求められると思う。
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昼は、調べてみたらスマランの名物と出てきたナシ・リウェットを食べようと、色々と検索して、悩んだ挙句、グデ市場の2階の食堂に決めたが、たまたまであったが、グデ市場は1915年から1941年まで活躍したオランダ人建築家のトーマス・カールステンの設計によるものであった。
カールステンは都市計画家でもあり、私にとって身近なのは、ジョグジャカルタのコタ・バルの計画であり、西スマトラのパダン市役所である。2009年の西スマトラ沖地震の調査に2010年以降関わることがあったが、カールステン設計のパダン市役所は、若干の被害はあったが、裏庭に面するガラス窓の建具などの線の細いデザインは、特段大きな被害を受けることがなく、残っていたのが印象的であった。
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今回見たグデ市場は、帰って調べるまでカールステンの設計によるものとはわからなかったが、市場を構成する2つの建物はともに交差点に面した角地を持っており、その角の部分を特徴的なかたちの大屋根でデザインしている。相互の建物は、通りに沿って互いに呼応しながら向かい合うようにデザインされており、その町並みと角地のデザインが、道路を挟んで建ち並ぶ様は、都市のランドマークをかたちづくるのに十分な造形であった。
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グラブを降りてすぐ、あの2階の通りに面したカウンターでご飯を食べると気持ちいいだろうなと思ったその2階が、ナシ・リウェットを食べた2階であり、カールストンが設計した建物であった。
食後、大雨に降られて、3時間近く市場に滞在することになったが、その後、スラカルタのバティック文化のかつての発信拠点の一つであるラウェヤン地区へ移動した。
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かつてバティックの制作・作業の場であり、事業所であった場所は、コロナ禍を経て大きく変わりつつあるという。最初に訪れたのは、作業所を維持しつつも通りに面した箇所でカフェを運営している建物であり、最後に訪れたのは、事業所をたたみ、レストランを運営している建物であった。
街区の中心を東西に走るメインの通り沿い並びに南北に抜ける路地沿いには、多くのバティックの販売店舗が軒を連ねるが、看板は出ているものの、閉めている店も多いと思われる。
オランダ時代のコロニアル風のデザインがあちこちに残りつつ、住民の手によって管理されている豊かな緑で包まれ、ヒューマンスケールの路地が何本も抜けるこの地域は、歩いているだけでも楽しい。雨の降った後の夕方であったが、若い女性たちが数組写真を撮ったりしながら、通りや路地を散策している様子を見ることができた。
予備知識なしに訪れたが、いくつかの宿題をもらった。次回行く時には、もう少し下調べした上で訪問したいと思う。241116